夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

8月30日(火)のTW:なぜ東京大学では国旗の掲揚も国歌の斉唱もないのか

2016年08月31日 | ツイッター

 


※追記20160831
なぜ東京大学では国旗の掲揚も国歌の斉唱もないのか

入 学式や卒業式などで、東京大学をはじめとする日本の国立大学において、国旗を掲揚することもなければ国歌を斉唱することもない大学が多いらしい。なぜだろ うか?素朴に疑問を感じる。少なくとも国民の税金で運営されている国公立大学においては、学長たちは国民に対してそれらの疑問に応えて説明するべきだろ う。

以前偶々に知りえたことがある。東京大学の法学部で長年の間にわたって学生たちに憲法学を教えられ、昨年かに亡くなられたらしい東大 名誉教授だった奥平康弘氏は、その著書の中で「天皇制は民主主義とは両立しない」と主張されておられる。(「天皇制」の合理的な根拠?(2))そうした東大法学部教授陣の国家観や憲法観と、国 旗の掲揚や国歌の斉唱されない東京大学の現状とは関係はないのだろうか?

誤解のないように言っておくけれども、亡くなられた憲法学者の奥 平康弘氏がどのような国家観、憲法観を持とうが、また樋口陽一、長谷部恭男、小林節氏などの憲法学者たちが国会で政党に参考人として招かれて、そこでどの ような発言されようが、それは完全に言論の自由であり学問の自由に属する事柄である。

いわゆる「天皇機関説」をめぐって戦前の国体主義者たちのように政府国家権力を利用して反対する著書を禁書処分にしたり、特定の言論や思想に対して暴力的なテロ行為に及ぶなどということはあってはならないことである。

た だ、それでも学問的な科学的な自由な論争によって、奥平康弘氏や樋口陽一氏らの国家観や憲法観の優劣や真理性を巡る議論は期待されるべきであるし、また国 民多数の意見は国公立大学の大学行政にも活かされ反映されるべきものである。それが民主主義である。特定の一部の大学人たちによって大学自治が特権化され るようなことは万が一にもあってはならないことである。

 

 

 


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