玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

捨てる

2006年09月14日 | 捨て猫の独り言

 来年の3月には私の職場の机を明け渡さねばならない。そのための準備を始めよう。処分しようか迷って自宅から職場に運んだ本がある。手書きの学級通信2年分、学外の研修会の報告集、校内の各種委員会の最終報告書などがある。どれもかなり昔のものばかり。いつか読み返すこともあろうかと保存するが読み返したためしがない。使いかけのノートもいくつかある。学生の時からノートを使い切ることができなかった。私を特徴づける性癖の一つと自覚している。

 筆記用具などの文具類で古くなりすぎて使えないもの、同種のもので使いかけのものなど数多くある。写真はクラスの入学記念、生徒のスナップのほか教科の送別会や職員旅行などかなりの枚数になる。写真のいくつかは裏返しにしてシュレッターにかけよう。机の上で目立つのは教材プリントを集めたB4サイズのクリアファイルである。これは再利用している数少ない例だ。めんどうだがいずれプリントはファイルから一枚ずつ取り出して処分することにしよう。

 自宅の全ての部屋が天井までゴミで埋めつくされた。奥のベッドまではヘッドランプを頼りに匍匐前進で辿り着くしかない。こんな特殊なドキュメンタリーを見たことがある。いわゆるゴミ御殿である。匍匐前進するリポーターの姿が長々と写し出される。そこで生活している当事者を徹底的に取材できていたら秀逸な番組になっていただろう。当事者のコメントを引き出すことは不可能だったのだろうか。惜しまれる。

 仏法者はお袈裟と応量器のほかは物を持ってはならない。こんな生き方もある。私は職場でも自宅でも多数の不要物に囲まれて生活している。ワープロ、ビデオ、カメラ、テープ、レコード、ステレオなど使うことのない古い型の機器がある。これからも読むことはなさそうな読まれていない本、もう袖を通すこともなさそうな衣服、その他数限りなしである。無駄こそ文化と自らを慰めてみる。早い機会に多くのものを捨てよう。捨て猫を名乗る私に 「分別さえも捨てよ」 との声がどこからか聞こえる。すなわち自分を捨てるのだ。

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする