玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*主催は奉賛会①

2007年12月11日 | 捨て猫の独り言

 奉賛会とかシンポジウムという言葉を聞くとなんとなく落ち着かない。意味を半端な理解のままに放置してあるしっぺ返しだろう。西郷隆盛公奉賛会主催の「シンポジウム・これからの日本西郷精神を現代に生かそう」 の開演2時間前に最寄り駅の四谷に着いた。せっかくの機会に四谷駅週辺を散策しない手はない。上智大学のキャンパスに沿って細い道をホテルニューオオタニの方に向かう。ここらは江戸城の外濠区域にあたるのだろう。かなりの量の土が盛られた堤が400メートルほど続く。堤に上がるとはるか右下には大学のグランドが見えて、その向こうを中央線が走る。来年の春にはここの堤の桜を見たいと思った。ニューオオタニの裏手にある日本庭園に迷い込んだ。誰でも立ち入り可能だ。いくつかの巨大な石灯篭と料亭が配置された庭園だ。この地域は紀伊、尾張、井伊の3大名の屋敷跡にちなんで明治5年に紀尾井町となったと案内板に記されていた。気負った命名だと思う。後で気付いたことだが西南戦争の翌年の明治11年にニューオオタニ前の紀尾井坂で大久保利通は暗殺された。

 12月3日の会場となったカトリック系上智大学は、この日はザビエルの祝日として休業し各種の催しが行われるのだという。大学は紀尾井町の土地を購入して1913年に開校しているが、高島鞆之助(薩摩藩出身の陸軍大臣、追手門学院創立者)とゆかりがあるという。今回のシンポジウムでは初めて耳にする人名がいくつかあった。高島鞆之助はその一人だ。他には重野ヤスツグ(薩摩の漢学者、歴史家で奄美で西郷と会う)、相楽(さがら)総三(赤報隊を率い年貢半減を布告しながら進軍したが偽官軍として処刑さる)等があった。私には好都合なことにシンポジウムとは名ばかりで大衆討論は皆無であった。そもそも私の参加は加藤紘一や佐高信の肉声を聞きたいというミーハー的な動機からである。会場入り口で 「南州翁遺訓」 とそれをもとにNPOが子供向けに編集した 「西郷(せご)どんの教え」 という二つの冊子を受け取った。うかつにも私は 「南州遺訓」 が庄内藩によって刊行されたことさえ知らなかった。次回は4人のパネラーが何を語り何を語らなかったかを振り返っておきたい。私は購入しなかったが、会場入り口では佐高の「西郷伝説」、加藤の「強いリベラル」が販売されていた。

コメント (1)
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