あ~あ、こんなこと始めなければよかったと思うことが起きた。しかし覆水盆に返らず、落花枝に返らず、破鏡再び照らさずだ。なのにいつまでも未練がましい自分が情けない。つい先日のことである。岩塩ブロックを菜っ切り包丁で削っていた時に左手の親指の腹の方を深くえぐってしまった。出血がなかなか止まらないので近くの医院で手当てを受けることにした。強く圧迫するのが良いそうだ。忠告に従って2日ほど酒を断った。
怪我のあとネットで岩塩の削り方を調べると、火打石方式、ハンマー方式、おろしがねで削る方式と3通りほどある。事前に調べていたとしても自己流の菜っ切り包丁方式だったろうと思う。固いものを削るから力を入れなければならない。刃物を強く押すことはかなりの危険を伴うという認識が不足していた。ケガは怪我と書く。我が怪しいとケガに至るということか。怪我の初日に親指を使わないでいるとその不便さが骨身に染みた。人体の巧妙な創りに感じ入るのはこんな時しかない。家の中での怪我に気をつけようと思った。
あ~あ、やっちゃったということで思い出すことがある。自動車での事故だ。思い返せばあの瞬間は、あるもめごとの直後で精神が不安定な状態だった。狭いT字路で右折しようとしてなぜか一時停止も左右確認もせず、うつろな心のままにハンドルを切っていた。そして左側から直進してくる車の後部に接触した。非は明らかに我にありだった。幸いどちらにも怪我はなくて済んだ。だいぶ前に車通勤をしていた時期がある。その頃私は車をあちこちぶつけることがよくあった。車の運転は不向きであることを自覚して最近はほとんど運転することはない。
指の怪我で「手」について敏感になっているところに、先日の宴席で懐かしくも楽しい話が出た。だいぶ昔の農作業の場面でよく見かけた手に関するある所作についてだ。休憩のお茶の時間になって高菜の漬けものが箸で差し出されたが手は汚れたままである。そこで汚れの少ない手の甲で漬けものを受けて直接口に運ぶ。受け皿なんていらない。手の甲に置いてくれと要求する故郷なまりの言葉に宴席は沸いた。ふだん使うことのない手の甲を活用する合理的精神が小気味いい。その場では、しばらく昔の労働を偲んで手の甲に受けるスタイルで漬けものを頂くことになった。