玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*政治風土

2014年01月13日 | 捨て猫の独り言

 雑誌の文芸春秋は亡き父がときどき読んでいた。私はこれまで熱心に読んだことはない。一年前の一月号は創刊90周年記念号だ。12月16日の衆院選で自民が圧勝する直前の10日発売である。特別企画「新・百人一首~近現代短歌ベスト100」の目次にひかれて図書館で借りてきた。もう一つ「激動の90年、歴史を動かした90人」という特別企画もあった。90人の中には私が最近読んだ岩波茂雄、種田山頭火の名もある。山口百恵、阿久悠、美空ひばり、小林秀雄などの名もある。それらの中で今回取り上げたいのは岸信介だ。岸についての原稿を寄せたのは元首相の森善朗である。

 岸の側近の今松の秘書だった森は1969年の衆院選で自民党の公認を得られず無所属新人として旧石川1区で出馬する。森は岸に応援を懇願し、岸は森の要望を快諾する。そこで森はつぎのように書いている。「わずか三、四時間の滞在でしたが、岸先生の応援によって風向きは変わりました。無所属の新人で「泡沫候補」とまで言われた私がトップ当選を果たしたのです。東京へ当選御礼の挨拶い伺うと、岸先生は「そんなに感謝してるなら、福田君の手伝いをしてやれよ」その言葉がきっかけで、のちに「清和会」となる福田派に入りました。福田赳夫先生や安倍晋太郎先生、その息子である福田康夫さんや安倍晋三さんを支えることで、岸先生への恩返しを続けてきたわけです」

 生涯恩義を忘れないと、素直と言えば素直な述懐である。それにしても元首相の志とはこの程度のものかと思う。日本の政治はこのような恩返しの連鎖が強く作用して動いているかの様だ。すこし情けない話ではないか。そういえば東京オリンピック開催決定の会場で安倍首相と森善朗が並んで万歳していた場面が思い出された。ところで安倍寛・岸信介・佐藤栄作ー安倍晋太郎ー安倍晋三・岸信夫という親族関係の中で私が特に注目したいのは岸信介と安倍晋三についてだ。岸は東条内閣の閣僚だったことから極東国際軍事裁判でA級戦犯被疑者として三年半拘留されたが不起訴となり釈放され公職追放となる。1952年のサンフランシスコ講和条約の発効にともない公職追放解除となる。晩年は自主憲法などの発言を続けた。

 安倍晋三の母方の祖父が岸信介である。昨年は唐突な閣議決定により両陛下を招いて「主権回復の日」の記念式典を強行した。安倍首相にとっては祖父の公職追放が解除になった日であるわけだ。奄美ではこの日を「痛恨の日」、沖縄では「屈辱の日」と呼んでいる。さらに年末には靖国神社参拝を強行した。祖父の恨みのを晴らそうとしての行いかと勘繰りたくなる。世襲議員だからと排斥するつもりはないが、恩返しという狭い人間関係が幅をきかす風土の中で、首相がこれ以上独断的・近視眼的な行動に突っ走らないことを切に願う。沖縄の辺野古問題で首相との会談後に仲井真知事は「驚くべき立派な内容だ」「これでいい正月になる」と答えた。私はこれは知事の皮肉(逆説)かと一瞬思ったほどだ。これについて「強姦したあと札束を投げつけて去る男の様な安倍政権の<格別のご高配>」と、あの上野千鶴子女史はつぶやいている。

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