まだ現役の頃、ある旅行業者が営業用に能率手帳を配布していた。退職後もその手帳を手に入れて長年にわたり使っていた。ところが電子機器などの普及によりその会社の手帳配布が中止されて、手に入らなくなった。同じ手帳が店頭では現在でも販売されて売り上げは好調に見える。そこで今年から、薄くて一回り小さい手帳を百円ショップで手に入れて使うことにした。
なんだか生活の質が落ちたような気分がしないでもない。これまでの手帳はスペースが十分あり、心に残った言葉などをそのつど書き込んだりしていた。そこで書き込みのための分厚いノートを別に用意した。そして百円手帖は予定の記入だけに使うことにし、肝心の二十四節気については赤ペンで自分で書き加えた。
以前の手帳では別冊のアドレス帳を利用して自己史年表を作成していた。自分の泊りの旅行や物故者の記録などを書き込み、毎年新しい手帳に繰り越してきていた。だから最後の2018年の手帳は年表と共に、やや面倒だがいつも身近に置いておくことになる。年表は2019年の欄はあるが、先のことなど分からないのだからあとは余白にしてある。
たまに古い手帳を開いてみる。ある一冊に「小過を責めず、陰私をあばかず、旧悪を思わず」という書き込みを見つける。たちまち過去がよみがえり、あの時しばらくの間はそのように心がけていたが、今ではその言葉は記憶から遠ざかっていることに気付く。未来とか現在とか過去とか言うけれど、それらの時というものはどこで区切ればいいのだろう。