鹿児島への帰省とさらに南の奄美への旅行を終えて18日の月曜に我が家に戻った。9泊のうち奄美には5泊している。一人暮らしで頑張っている95歳の母を訪ねるのは1年3か月ぶりだった。足腰が弱り耳も遠くなり記憶力も急激に衰えていた。もっとも耳の遠いのは私も同じなのだが。近くに弟と妹がいて生活のサポートをしてくれている。連続的に母の変化を見ている弟と妹と、久しぶりに見る私とは母の様子について感受するものは違うだろう。
旅を終えて最寄駅から自宅に戻る道すがら、歩道には落ち葉が風に吹かれてカサコソ音をたてていた。南では秋の訪れを感じたことはなかったのでその違いをあらためて気付かされた。今回の旅は帰省が第一の目的だったが、それだけではもの足りないという思いが私には強かった。それぞれの事情でほぼ二カ月おきに鹿児島に帰省している高校時代の同級生二人に奄美旅行を提案したところ、快く応じてくれたのだった。
私は幼い頃に奄美で育ち、その後も何回か奄美を訪れたことがある。誘った二人は奄美で暮らしたことはなく、旅行計画は私が担当することになった。この時期は旅行客の混雑もなく、各種運賃も安めだろうという思わくがあった。そして75歳の男三人は黒っぽいリュックサックを背負って鹿児島本港の北埠頭に各地から集結した。旅は飛行機でも列車でもなくフェリーでスタートした。
奄美の案内役を無事に果たしたいという思いもあった。この旅で私が期待していたことの一番目は大島海峡のクルージング、二番目は隆起サンゴ礁の島である喜界島を360度展望できる百之台公園に登ること、三番目は喜界島の中央に位置するサトウキビの一本道を辿ること、四番目は蝶の島でオオゴマダラの黄金のさなぎをこの目で確認すること、五番目は喜界島にある黒糖焼酎の酒蔵見学などであった。しかし順位付けするのはおかしなことだ。