山に登る道は多岐に分かれるが登りつめれば同じ頂にたどり着くとする宗教観を持っていた。柳には英国の詩人・画家のブレイク(1757~1827)研究があり、そこで人間と芸術の融合、そして人間性と聖霊の直接合一を学ぶ。その後東洋の神秘道としての禅と出会う。その背後には指南者としての鈴木大拙の存在があった。
さらに禅の道とは別に一大天地があることが分かり、おのずから念仏宗に親しんだ。柳をさらに浄土系仏教へと惹きつけていったのが、1924年の木喰仏の発見だった。木喰聖人と関連づけて他力信仰への関心を高めていった。民芸の道が「他力道」にあるとし、凡夫にも美を生み出すことが可能だとした。
柳は日本人が世界文化に寄与しうるのは、芸術と仏教思想の二つの分野であり、そのうち最も巨大なものは日本で発達した仏教思想であるとみていた。具体的な物の美のなかに宗教思想を読みとる、という戦前の方向を逆転させ、戦後は、宗教思想の方から美に迫ろうとした。その背景のひとつには、日本の芸術よりも仏教思想の方が世界的貢献がいっそう大きいとする判断があった。
仏教美学四部作を読むと繰り返しが多いと感じるのだが、仏教に関して学べることが多くある。例えば「仏がいて救うのではなく、救いが仏である。それゆえすべてを仏の力にまかせれば、迷いも敗れもないはずである。そういう道がすでに用意されているのである。それが仏の大悲である。小さな自分を打ち捨てて仏に便れと、すべての念仏宗は教えている。他力門のありがたさはここにある」