黒船が浦賀沖に現れたときの旗艦は「サスケハナ号」で、翌年に下田に入港したときの旗艦は「ポーハタン号」だ。蒸気と風力を用いる「木造」の軍艦である。下田の観光遊覧船の名が「サスケハナ号」になっているのはなぜなのか今でも私を悩ませている。またペリー提督が下田からポーハタン号で持ち帰った「伊豆石」がポトマック河畔の高さ169mの「ワシントン記念塔」の65mのところに埋め込まれているという。
ホテルの露天風呂が色とりどりの巨岩で作られていて感激したが、説明版によると岩はほとんどは全国各地から集められたものという。江戸城の石垣のほとんどが伊豆から運ばれたと聞いていたので意外な気がした。また下田公園の中腹には広場があり、そこには開港100周年を記念して「開国広場」が1953年に造られている。毎年5月の黒船際にはここで式典が催されるという。
ジミー・カーター39代米国大統領は、1979年の東京サミットで来日中に家族と一緒に下田を訪れている。氏は海兵学校を卒業し潜水艦に勤務し海軍中尉で退役、その後ジョージア州知事を経て大統領となった。下田では玉泉寺に眠る海軍将校の墓地参拝が主たる目的だったのだろう。また下田公園の開国広場近くに記念のレリーフが設置されていた。現在は97歳の長寿である。私の娘が住むアトランタで、カーター記念館を訪れたことが思い出された。
私は「唐人お吉」という物語を耳にしたことはあれ、その内容は知らない。たしかに下田のひと「きち」は実在していて、ハリスが滞在する玉泉寺に籠で出向くが3日後に返され、のちに解雇される。玉泉寺は「唐人お吉」は完全なフィックションであるという見解である。なおハリスは生涯独身だった。しかしながらハリス記念館にはお吉とハリスの等身大の人形が大々的に展示されていた。大人の対応である。