農事経営にたずさわる田園生活者のリョーヴィンはトルストイの分身と考えられる。信仰をもたなかった彼はが少しづつ信仰を獲得してゆく様子が書かれている。「もしその無垢な幼児があなたに向かって〈お父さん、この世で私たちを喜ばせてくれる大地や水や花や草などみんな、だれがつくったの?〉ときいたときあなたはなんと答えますか?まさか〈知らないよ〉とは答えないでしょ」
「またお子さんから〈死んだらどうなるの?〉ときかれたとき、何も知らなかったら、いったいなんというつもりですか?」リョーヴィンはあらゆるものの中に「私とは何者であるか?自分はどこにいるのか?なんのために自分はここにいるのか?」という自分の疑問に対する相互関係を探しもとめていた。「このおれも土に埋められてしまって、あとはなにひとつ残らないってことだ。これはなんのためだろう?」(11・11名古屋駅にて)
「あの百姓が、神のため、魂のために生きなければいけない、といったときも、おれはびっくりすると同時にうれしかったのだ。おれはなにも発見したわけではなかった。おれはただ自分で知っていたことをはっきり認識しただけなのだ。おれは単に過去ばかりでなく、現に自分に生命を与えてくれるその力を理解したのだ。おれは虚偽から解放されて、ほんとうの主人を見いだしたのだ」
アンナのほかに、トルストイが考える理想の女性があと一人登場している。キチイが転地療法で訪れたドイツの温泉療養地で知り合ったワーレンカです。彼女はそこで病める人たちの介護をしていました。「いったいこの人の中にはなにがあるのかしら?いったいなにがこのひとにいっさいを無視してなにものにも左右されない落ち着きを与えているのかしら、ああ、なんとかその秘密を知って、この人からそれを習いたいものだわ」とキチイは本能的な生活のほかに、精神的な生活もあるのだと気づくのです。(了)