目下私がおもしろいと思っていることの一つに、都営地下鉄大江戸線沿線の東京探訪がある。増上寺や青山葬儀場と並ぶ大規模葬儀場のひとつである築地本願寺を初めて訪れることにした。三島由紀夫、大島渚、勝新太郎、笑福亭笑瓶などの葬儀が執り行われたという。また近くの佃島と月島の関係も整理しておきたかった。
5月最後の日曜日、西武新宿駅まで行き大江戸線の新宿西口駅から築地市場駅に向かう。地上に出ると朝日新聞本社と国立がん研究センターのビルが目の前に現れた。通りの反対側には豊洲に移転した築地市場の跡地が白い塀で囲われている。塀沿いに歩くとすぐそこには場外市場があった。アジア系の観光客でごった返していた。
寿司、鮪のステーキ、卵焼きの店などに行列ができていた。ふと台湾旅行のさいの屋台通りの風景を思い出した。かつてここは築地本願寺の門前町だった。そして訪れた本願寺は明暦の大火のあと江戸幕府の区画整理のさい、もとの場所での再建が許されず八丁堀沖の海上が下付されたという。
本堂再建のために佃島の信徒を中心に、海を埋め立てて土地を築いた。この埋め立て工事のことがそのまま築地という地名となる。そして1923年の関東大震災の10年後には現在の本堂ができた。古代インド様式で鉄筋コンクリート造りだ。日本の寺院のイメージとはかけ離れた、エキゾチックな雰囲気にしばし圧倒された。境内の片隅に親鸞上人の托鉢姿の像があった。