テレビは3月20日に小田原駅前に「小田原シネマ館」がオープンしたことを伝えていた。座席数40のミニシアターだ。駅前に映画館ができるのは21年ぶりという。資金集めから始め、物件探しや運営方法の勉強まで蓑宮武夫氏と古川達高氏の二人で進めてきたが、昨年の10月に蓑宮氏が急逝する。テレビ画面はオープンの日に、劇場最前列の座席で蓑宮氏の遺影と共に座る古川氏の姿を写し出していた。
その後、偶然にも図書館の新刊コーナーに蓑宮武夫著「いまこそ人生で大切なことは映画から学ぼう」を発見した。蓑宮氏は私と同じ年の生まれと知る。氏は私財を投じて、まちなか映画館をつくると腹をくくる。そのために各地を取材した記録が第5章の「まちなか映画館で地域が元気になった事例」だ。蓑宮氏は11冊めとなるこの本の出版の直前に旅先のメキシコで死去した。その取材した一つに青梅の「シネマネコ」があった。
青梅には50年間映画館が存在していなかった。青梅生まれの映画看板師が駅前商店街に自らが手がけた映画看板を掲げ続け、青梅はレトロな「映画看板のまち」として知られるようになった。残念ながら看板師は2018年に死去している。そしてコロナ禍の真っ只中の2021年に座席数63の「シネマネコ」が開館した。キーパーソンは青梅出身の菊池康弘氏だ。なぜネコなのか?青梅は昔から「ネコのまち」として知られていたという。
ネコの謎解きはつぎの通り。青梅は江戸時代には交易のまちとして多くの人が行き来していた。養蚕がさかんで、織物も有名、人や物が集まるところには自然とネズミが増え、猫を飼う家が多かった。また商売のまちだから店先には縁起物として招き猫が置かれていた。このまちにはいつも猫がいたのだ。これまで私は映画は立川に出てシネマ・コンプレックス(シネコン)で観ていた。これからは愛用の都バス・梅70に乗り青梅の「シネマネコ」に行く楽しみもできた。上映作品のチェックが欠かせない。