彼岸花が咲きだした。私は12日に畳二枚ほどの畑に春菊と小松菜の種をまいた。家人はこのところ週末毎にベニカナメやシラカシの剪定に大忙しだ。切り枝の後始末が私の役回りだ。庭の角にある一本のクロガネモチの幹回りはだいぶ太くなっている。さらに家人はその木に登って枝を落とす。何年先までこの作業ができるか予測は不可能だ。ツゲの生垣の手入れも家人の一日仕事だ。二本ある松の手入れは昨年から植木屋さんに頼むようになった。
散歩に出てオープンギャラリーの横を通るたびに空っぽの展示ケースに目が行く。このように個人で経営するオープンギャラリーを私は他に知らない。玉川上水の四季の風物をスケッチや写真に焼きつけてタイムリーに提示する。「追っかけていてはだめ、待つようにならないと」が鈴木さんの口ぐせだ。その展示がしばらく休止という事態になった。私は二週に一度の観察会をこれまで三ヶ月も欠席していた。さあ九月からは参加しようという矢先のことだった。
新聞のコラムでユーモラスな一首が紹介されていた。投稿したのは藍原秋子さんという方である。『新しい眼鏡で私を見るたびに「うわっ」て どういう意味です?父さん』 なんともいえないそれぞれのお人柄が伝わってくる歌だ。別の場所では石川のり子さんという方の投稿歌で「数あれど不満の一つ呟けば夫は箸止め酒こぼしたり」とあった。ついでに男歌を一首。「うまくいけば今日は禁酒が出来るかと六時を過ぎるころまで思ふ(馬場昭徳)」
囲碁棋士の高尾紳路十段のブログには自戦解説がある。最近の記事に『早くも敗戦を覚悟、その後も凡ミスを連発、しかしなぜか運良く逆転勝ち。野村元監督の「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」この言葉は名言です。しばしこのような事が起こります』とあった。私は名言の元監督は詩人だと思う。「勝ちを拾った」というズバリの言葉を使わずに、その周辺の言葉を組み合わせて、なんとかそれを表現しようとするとき、そこに詩が生まれる。この説は歌人・斉藤斎藤の受売りです。(写真最下段はヤマボウシの実)
また、歌人の斉藤斎藤という方、NHKの短歌で知りました。おもしろいというかユニークな発想をする方とお見受けいたしました。
野村元監督の言葉といいなるほどと感じ入りました。