ART&CRAFT forum

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「FEEL・FELT・FELT-造形の楽しさ-」 田中美沙子

2016-12-06 11:28:40 | 田中美沙子
◆田中美沙子 “Rvins”羊毛・シュロ・石 1992年

◆田中美沙子 “COL ONY” 90×130×10cm 
羊毛・綿布・麻糸・鉄線   1999年

◆ノルウェー  “ワークショップ風景”

2002年1月20日発行のART&CRAFT FORUM 23号に掲載した記事を改めて下記します。

「Feel・Felt・Felt-造形の楽しさ-」 田中美沙子

 ●記憶の色、 響きあう色
 両親の故郷がある長野で過ごした小学生の頃、山の火口まで登ったことがあります。普段そのような機会は少なかったのでその時の印象は今でも心の奥に残っています。火口の水の色はエメラルドグリーンをしてとても美しく、現実ばなれしたその雰囲気は何処か見知らぬ世界に迷い込んでしまったようでした。私の作品にブルー系が多いのはその時の印象が強烈に残っているのかもしれません。作品の場合色の効果は大きな割合をしめます。四季の移り変わりや身近にある素材が、雨や風を受け時間と共に変化して行く色はたいへん美しく、それらは私に創る喜びを与えてくれます。原毛の色は絵の具におきかえられます。水で解いて淡い色や混色を作るように、原毛を手やカーダーで少しずつ混ぜ割合をかえて行くと、色のパレットは限りなく広がって行きます。上下左右の色が絡み合い縮じゅうされ色と色は響き合い、時間の経過と共に魅力ある深い色へと姿を変えていきます。フェルトの色の魅力はこの変化するおもしろさにあると思います。そのため空気を含んだ原毛の色と、絡み合いフェルトになった色はおのずと異ってきます。イメージの色は心に浮かぶインスピレーションをスケッチをしていく感覚で次々と作って行きます。色の背後には感情やメッセージが存在し、組み合わせにはおもいがけないストーリが生まれます。草花の命の色に一生をかけ取り組まれた、志村ふくみさんの色彩観の言葉が思いだされました。 『初めに光りと闇があった。そして光りのかたわらに。黄がうまれた。 闇のかたわらに、青が生まれた。 赤は私達生命の内なる源、血の色。すべての根源であるからほんとうは見えない。ほんとうはこの世にはない色。天上の色。そして黄と青、光と闇が一つになって地上の色、みどりが生まれた.』(モダニズムの建築・庭園をめぐる断章 新見隆著 淡交社)

●不思議なちから
 自然界には沢山の面白い造形があります。たまたま友人からスズメバチの巣を見せてもらう機会がありました。その外皮の見事さにひかれ内側はどのようになっているのかたいへん興味がわきました。そんな折りINAXギャラリーで蜂の巣を集めた展示を見る機会があました。そして巣の内側を見る事が出来ました。それらは6角形をした沢山の部屋が集まり何層にも重なる巣と、全体を覆っている外皮から出来ていました。外皮は濃淡の色調をしてまるで平安時代に流行した雲繝(うんげん)手法を思わせる見事な鱗(うろこ)模様や、墨流しなど工芸的な美しさがありました。樹皮や朽ちた材木を細かくかみくだいてチップ状にしたざらざらした風合は、まさにパルプで作った洋紙の家です。層と層は捻(ねじれ)の柱でつながり外皮はあつく覆われ防水構造で、部屋の温度を一程に保つ役目もしていました。6つの部屋は互いに壁を共有し固く結びならび、細小で最大効果の配置をしていました。コルビジェは家は住むための機械と言いましたが、蜂にとっては社会や国家でもあります。そのような見事な住まいも秋が過ぎると蜂たちは死に、新女王バチが誕生し、命をかけて作った巣も一年で捨ててしまい又新しく作るのです。当時この展示を見て巣の構造やそのパワーに感動し作品にしてみたいと試みました、なかなか納得の行く表現には至らず何時の日か再びチャレンジする事があと思います。

●変容する作品
 フェルトを始めて15年が過ぎようとしています。スタートした当時は、参考資料が少なく、くり返し試みる中からその方法がつかめてきました。とくに立体の作品は、イメージを形にするのが難しく簡単に思い通りには行きません。厚み、素材、縮じゅうを変えて試みる中から体得し次が見えてきます。はじめの頃優しい羊毛をフェルトにする事で、優しさと反対の強さが表現出来ないかと考え、石の持つごつごつした固まりや自立する塔など心象風景として作品にしました。土で出来た物や単純で力強い造形にひかれパワーを感じられる物に憧れます。そこには生きるエネルギーの源が感じられるからです。それは、無意識の内に作品の中に取り込まれ、羊毛を使いながら土の素材で作っていく感覚でした。何処までもつづく広い大地やなだらかな草原の起伏をイメージし、レリーフで表現した作品など体力がとても必要となりました。年を重ねると共に作品の方向も変化してきました。フェルトをする以前織物をしていた私にとり、身の回りの簡単な道具と全身の感覚を使い羊毛が平面そして立体へと変容して行くプロセスは、驚きと魅力をたいへん感じました。過ぎ行く時間の中から生まれる、鉄の錆やコンクリートの剥げた様子にハットする美しさを感じ繊維とかなり離れた素材の木や、石、鉄、を造形に取り入れて、表現の広がりと未知の可能性を試みました。人と人も話題や価値観に共通性があると会話が弾むように、素材の特色を良く理解し、話題を何にするか決めテーマを進めていきます。その時々強く五感に感じたことを素直に表現することで、なにかメッセージが伝えられれば良いと思います。何時もなにかに感動する気持を持ちつづけ発見する楽しさは、次への作品への思いにつながって行きます。何でも機械で作れ簡単に手に入る現代、自分の手で工夫し生み出す喜びは、その人のみが味わえる満足感でしょう。しかしその過程で失敗はつきものです。これらを積み重ねつづけて行く事で完成への喜びもいつそう膨らみを増すことでしょう。

『すべてのみえるものは、みえないものにさわっている。きこえるものは、聞こえないものにさわっている。感じられるものは感じられない物にさわっている。おそらく、考えられるものは、考えられないものにさわっているだろう。』(一色一生 志村ふくみ著 求龍堂)
 志村ふくみさんの一色一生に書かれたノヴァーリスの言葉が浮かんできました。
                 
●ノルウェーリポート
 2人で参加したワークショプは、各々違う講座を受ける事になりました。申し込みが遅く希望したものは参加できず、イギリス人のフィリップオレーリさんのニードルマッシーンのワークショップを受ける事になりました。機械を使うのはあまり気乗りしない反面どんな機械なのか興味もありました。10人のメンバーは私を含め韓国の大学生、ヨーロッパやキルギスタンなど様々な国からでした、メンバーの自己紹介からはじまりフェルトに使われているアジアの模様や、ワークショプのデザインの説明は辞書を片手にスタートしました。各自の机にはスチロールの板が置かれ日本から事前に用意した柔らかな縮じゅうのフェルトをアルファべットにカットし、原毛の上に置きます。私は自分の名前のMを使い、文字の持つリズムをデザインしてみました。制作方法は、十本の鋸状の針を持つ卓上の道具を使いスチロールの位置まで突き刺して行きます。針が鋸状のため繊維が原毛にひっかかり層の奥まで届き絡みます。売店にはこのための一本の針も売られ、これを使いレリーフや顔など立体も作っていました。その後沢山の針を持つモーター付きのニードルマシーンで全体を一体化します。この機械は重さが12キロ以上あるので私には操作操がたいへんでした。日本では以前からこの方法を使い工場でフェルトが量産されています。最近では、ファッションの分野で異素材の組み合わせなどおもしろい布を見ることができます。フィリップさんの作品は工業用のフェルトを多重にして穴をあけデザインしたカラフルなタピストリーを作っていました。フェルトは大きなサイズや厚みのあるものを作るのが大変です。歴史のあるところでは、道具や加工方法などフェルトに作りやすい材料の開発がなされています。また量産とハンドメードの融合は、日本と比ベー歩先を進んでいると思いました。一週間も何時の間にか過ぎ、ワークショプも終わりに近づくと教室の壁には作品が並べられ、自分の興味のある場所を見学し互いに質問などかわしました。最終日は大ホールに集まり閉会式です、お世話になった人達に羊の燻製がプレゼントされ、ノルウェーの民族衣装を身につけた人達のすばらしい歌声に聞き入った後、各々毛糸の玉を手に持ち出来るだけ遠くへ投げ糸を絡めあいました。そしてフェルター達の友情と発展を願いフェスティバルの幕が降ろされました。