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「本日は晴天なり」榛葉莟子

2016-12-09 10:00:22 | 榛葉莟子
2002年1月20日発行のART&CRAFT FORUM 23号に掲載した記事を改めて下記します。

「本日は晴天なり」 榛葉莟子

 
 郵便局の自動ドアが開いて一歩入ってそこの壁一面に、村の幼稚園児たちのクレヨン画がずらっと30枚くらい張ってある。初めて見たときは一人の子供の絵だと思った。背景が全て空色のベタだった。この子は相当空色が好きなのかしらと、別な意味で一瞬奇妙な関心を持ったけれども、これらの絵が一人一人別な子供の絵と気づきものすごく驚いた。心配性だからいますぐにでも幼稚園に飛んでいきたくなる。一ヶ月ごとに絵は張り替えられていることを知ればもっと驚く。何年経っても空色のベタである。であるといいたくなるのは先生と呼ばれている大人への怒りの気持ちである。なぜ何の疑問もなく決まりきった空色の画用紙が子供たちに配られるのだろうか。分からない。はじめに空色ありきの空色の画用紙を眼の前にして、子供たちはきれいな色がいっぱいの自分のクレヨン箱をのぞいているのだろうか。なんだかそんなことが気にかかるこの頃だ。

 朝、仕事する部屋に行く。カーテン越しの陽は寒い部屋を温めはじめてくれている。カーテンを開ける。カセットのボタンを押す。この数ヶ月同じカセット。民族音楽セレクション8枚組の中の一枚、終末と題しセレクトされた全ての音楽が心地よい。なかでもガムランというインドネシアの楽器のかもし出す音の響きは、百万回聞いても飽きないだろうと思うくらい魅かれる。なにかしら悲しみと喜びの混じりあった深く揺さぶられる神秘の音。その音楽が部屋中にしみわたると、眠っていた部屋はゆっくりと気持ちよく目を覚まし、部屋は新しい朝のはじまり。

 陽が動いて高い窓からきらきら差し込む光の帯線がひとところに止まるほんの数分がある。そのときそこにひとかけらの虹を見る。ありあわせの材料でつくったメモ的オブジェ、ガラス、石、トタン、鉄、木、粘土、さまざまな切れっ端が、ほとんど散乱状態で並んでいる一角。締め切りもなく、縄張りもない、欲するままに表れた産物でもある通過中の物たち。その中のどれかと光とが結ばれて虹がかかる。物陰に隠れていた物に光沢の色彩が生まれる。その時コトリとかすかな音の気配。そんな瞬間、天気と題された西脇順三郎の詩「(覆された宝石)のような朝/何人か戸口にて誰かとささやく/それは神の生誕の日」が頭に浮かぶ。言葉の周囲に透きとおった光の色彩が見えるようで、気になる気配とすぐ結ばれてしまう。虹は動いていく陽に吸い取られるようにじきにすっと消えていく。

 ぶらり図書館に行く。ふと眼にとまった本を一冊だけ借りる。頁を追ううちふと気がついた。というよりも、えっ!と思った。見開いた綴じの隙間から光が漏れでている。天使の話である。見開いた右頁左頁の真中、綴じの奥から光が差し込んでいるような薄黄色いグラデーションがすうっと帯状に染まっていた。次の見開きも次も、前の見開きもつまりこの本の活字が組まれている頁全部光としか言いようのない薄黄色が漏れでている。どんなに撫でさすり、透かして見ても印刷ではない。紙は白。たて組の黒い活字。試しに、本棚から同じような紙質体裁の本を持ち出して何冊かめくった。どの本も薄い灰色がしょんぼり影を落としている普通だった。どんな仕掛けがあるのか分からない。仕掛けなどないのかもしれない。そう見えただけかもしれない。いま手元にないので、もう一度確かめることもできない。けれども確かめはしないと思う。綴じの隙間から翼をつけた小さな生き物が、次々と宙に舞っていく妄想が広がる。だからもういいと本を閉じる。そこから先は自分の翼を開けばいい。

 脇目もふらずに読み通すという本はまれだ。長編ものなどはまったくだめだ。まれにはあった。夢中になって読み終わったとき白々と空が明るくなっていたというのは、ずっとずっと昔のことだ。だいたいが途中で脇目をふりたくなってしまう。だから短編がいい。短編の作者は長生きをしていない人が多いという。短編が好きな読み手はどうなのだろう。と妙な想いが浮上してきたので、ストーブに薪を足す。冬は火が身近にある。すぐそこでボーボーパチパチ燃えている音がする。暖かい。

 以前庭で、もういいと思ったので過去に造った諸々を燃やした。燃やすことにもったいぶった意味はなかった。もういい。それだけだった。思いがけなく炎が高く立ち昇ったのでぞっとした。めらめらと燃える炎の赤が素の色を吸い上げていく。その様がきれいだなと思った。そして物体は炭化。ちょと動かせば崩れる寸前のはかなく柔らかい姿。つくずく眺めていると「やめろ!」と夫の声がした。やりとりがあって結局中止した。あれからずっと、いくつもの物体は廊下の奥、逆光のなかディテールの消えたシルエットがひっそり林立している。それは静止し瞑想する樹木への変身。