ART&CRAFT forum

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「FEEL・FELT・FELT-母なる技法への回帰-」 田中美沙子

2016-12-20 10:29:35 | 田中美沙子
◆トルコのケバネック(羊飼のマント)

◆パオの中の壁掛

◆カザフスタン SYRMAKの敷物

◆トルコの敷物 KECE 制作風景

2002年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 24号に掲載した記事を改めて下記します。


「FEEL.FELT.FELT-母なる技法への回帰-」  田中美沙子

 ●素材の性質
 ふわふわ、ざらざら、ぼこぼこなど目から触感をかんじられる物に出会うと思わずそれに触れて感触をためしてみたくなります。絹ずれの音のイメージから絹の優雅さや華やかさが伝わり、水や風を通すほど布の味わいが増して行く木綿からは庶民的な素朴さが、生なりの麻の白さからは凛とした硬さと気品などが感じられます。自然の繊維には各々はっきりした性格や個性がありそこには生きた繊維としての存在感と必然性が隠されています。フェルトを作る羊毛や獣毛には、どこかしみじみとした暖かさとおおらかな優しさがあります。これは動物の皮膚の一部だからでしょう、春になると動物達の毛は抜け新たな毛が育つように、羊も生後2ヶ月頃には保護用のヘアーが生えそれらはウール状に成長し毛刈ができる頃には下から新しい毛が1cmぐらいになり冷たい外気から身を守る仕組みになっています。他の繊維に比べ保温や伸縮性に富み糸を紡ぐのには大変適し天然のストレッチ素材と呼ばれています。また湿度の放出と吸湿性にすぐれエアコンの効果を持ち合わせているのでスポーツ衣料にも多く使われて来ました。最近身のまわりには化学繊維が沢山あふれています、薄く軽く暖かく摩擦や張力にも強い目的によって現代生活に大変便利なものです。しかし触れた時の感触や着心地の良さを味わうためには自然の繊維がまさっています。最近はこれらがとても贅沢なことになって来ているでしょう。そして古くなった繊維は腐り分解し土に帰る事ができるのです。

 ●日本のフェルト(氈、おりかも)
 赤い毛氈ひきつめておだいり様にお雛様、ひな祭りの歌にうたわれる毛氈(もうせん)は氈(おりかも)と呼ばれ毛氈の一種類です。日本ではいつ頃からフェルトが使われるようになったのでしょう。正倉院の宝物には31枚の敷物があります。唐の時代中国、朝鮮を経て渡来したもので白氈(生なり)、色氈(一色染め)、花氈(紋様のある)があります。中でも花氈には鳥や人の姿など楽しく表現してあり、色彩は藍、淡青、緑、萌黄、褐の濃淡が使われています。この伝統的な製法にはふた通りあります。蓆(むしろ)の上にデザインにそって紐状の羊毛を面や線の上に置きその上に地となる解毛した羊毛をのせ巻き縛り圧力を加えるものと、一方は象嵌(ぞうがん)による方法であらかじめ少し柔らかく作った色のフェルトを模様に合わせ切って地のフェルトにはめ込んだものです。毎年秋に奈良博物館で開かれている正倉院展で始めてこの象嵌の技法による花氈を見る事ができました。これは、長さ275cm幅139cmの典型的な唐花紋様によるもので藍、緑、褐の、花を上の角度から見たデザインで色の濃淡による絵画的な効果を出していました。(雲繝(うんげん)手法とよばれています)少し破損した部分をのぞいては色も模様も大変美しく、その精密な表現にしばし時間の立つのを忘れため息をつきながら眺めたものです。この時代は羊とカシミヤ山羊の毛を重ねあわせ使っていました。桃山時代には毛氈が珍重され陣羽織、軍用服、お花見の席の敷物に使われていました。江戸の後期に入ると中国から技術者を呼び長崎のお寺の境内で始めて敷物を作った記録が残されています。高温多湿で牧草地の少ない日本の風土の中では羊は育てにくく養蚕による絹織物の方が発展しました。その後明治に入り外国から紡績機械羊毛が始めて輸入され工場では、フェルトの帽子の生産が行われるようになりました。

 ●中央アジアの伝統的な敷物を辿って
 羊の種類は世界で沢山あると言われています、それらは長い歴史の中でメリノを中心に食肉種や羊毛種のため交配をくり返し生まれてきたものです。中央アジアの草原では遊牧の生活がその地方に生息する羊を使いそこでの独自の方法と美意識でフェルトの敷物や壁掛を作りテントの中で使われて来ました。今もその方法は親から子へまた職人さんの仕事として次の世代へと伝えられています。これらの敷物には良く使われている模様があります、太陽の輪、生命の木(ぶどうの蔓)、羊の角、鋸がたの山、波、渦巻き、など人々の自然にたいする敬畏や繁栄を願う気持ちがここに込められております。それらの模様は個人的な好みではなく各々の地域の社会性や公共性を表わしているものです。日本のアイヌの模様にもモウレと呼ばれるれ水の力、精を表わし鮭の豊穣を願う模様があります。これらにはこの地方の模様とどこか共通のものが感じられます。

●モンゴルの単色カーペット- Shirdeg-
 モンゴルやカザフ地方で使われるshir、syrの言葉には縫うと言う意味があります。モンゴルのshirdegと呼ばれている敷物は、モノクロのフェルトにラクダや山羊の糸を撚りあわせ強い糸でキルティングしていきます、重ね合わせた布を日本の刺し子の方法で縫い糸を強く曵くので模様の線が凸凹と影を作りシンプルで力強くモダンなデザインの技法です。これらは主にパオの扉の幕や敷物、お茶を入れる袋に使われています。これらを作る時には数人の人達が草原に寄り集まり、おしゃべりしながら楽しくひと針ひと針進めていきます。

●カザフスタンの多色カーペット-Syrmak-
 カザフスタン地方には、syrmakと呼ばれている敷物があります。これは模様がネガポジの色を使い2枚一緒に同じモチーフを切り取り、各々反対側の地にはめ込み縫いあわせます。その上をラクダの糸をZ撚りとS撚り2本ひと組にしてVの字に縫い付けて行きます。色糸のコントラストが装飾と補強効果を作り更にもう一枚のフェルトが下に加えられ全体を糸で刺して仕上げます。モザイク、パッチワーク、キルトがひとつに合わさりくっきりした模様が生まれる技法です。

●トルコのカーペット-Kece-
 数年前、東西文化の十字路と言われているイスラムの国トルコでこの地方の伝統的なフェルト作りを体験しました。首都のイスタンブールから夜行列車で12時間、寝台車の車窓から見える景色は、何処までもつづく赤い土の丘とオリーブの木が広がるアナトリア地方です。かつての古都コンヤがその会場です。町はモスクを中心に広がり町中はまだ車と荷馬車が走り、ひずめの音が心地よく響き渡っていました。イスラムの宗教では偶像崇拝を持ちませんそのためモスクの中は美しい幾何模様であふれ、それらはトルコ絨毯やキリムの織物にも使われていました。またモヘアーの羊が生息している場所でもあります。会場の板の間には10メートルの蓆が部屋いっぱいに敷かれ何枚もの敷物を同時に作って行きます。職人さんと言葉が通じないながら作業を後からついて行きました。初めに模様にする柔らかなフェルトを作ってこれを鋏みで2~3センチのテープ状に切り、既に職人さんの頭にある伝統の模様を蓆の上に置いていきます、指先で柔らかなフェルトを巧みに操り直線から曲線、曲面へと変化させ全体に幾何模様の中に曲面の優しさを取り入れられたデザインにしていきます。素材の羊毛は近くに生息するマウンテンシープを植物(藍、茜)や化学染料で染色し、面積の多い地の部分は自然色の白を使い一度カードしたものをオリーブの枝を束ねた道具で繊維を更にバラバラにし模様の上に厚く乗せて行きます。ほうきの先に少しの水を加え振りまきのり巻き状に巻き込んで行きます。直経は40~50センチになりそこに3~4人の足をのせ部屋の端から端へとリズムを揃えて一時間ぐらい蹴って行きます。この時模様と地がなじみます、更に縮じゅうを完全にするため昔は何日もかけてこの作業を続けたのですが、現在は機械で加圧し厚みが1センチぐらいの敷物に仕上げ1枚のサイズに切っていきます。近くには、フェルト工房があり男の人達が羊飼のマント(ケパネック)や敷物を作っていました。私達も自分のネーミングとこの地域の紋をあらわした刀と太陽の模様を胸に入れたマントを作り持ち帰りました。都心への帰り砂漠地帯に舗装された一本の路が何処までもつづいていました。そこをバスで走りながらこの風景はいつまでこのままでいられるのであろうかの思いが頭をよぎりました。日本でもかつて庶民の衣服を中心に広がった刺し子は半纏、前かけ、風呂敷など強さを求められる布として広まり、多くの刺し方による美しいデザインが数多く生まれました。現在残されているものは沢山の水と陽を浴び美しい姿になっています。これらの手仕事は各々の国の風土のなかで長い時間をかけて女性達が持つ優しさと強さにより育まれ伝えられてきました。これからも環境や生活の変化と共に姿を変え行くことでしょうがここに込められている心は次の時代へと伝えて行って欲しいと思います。