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「テキスタイル界のパイオニア-藤本經子先生-」 中野恵美子

2016-12-17 11:33:49 | 中野恵美子
◆藤本經子「そよ風 BREEZE(部分)」1983年 織編組織、絹・ウール

◆藤本經子「道  THE PATH」1982  織編組織、綿、44×143cm

◆藤本經子「亀甲  HEXAGONS」 1986、織編組織、ウール、85×180cm

◆藤本經子「星座  THE GALAXY」 1987

2002年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 24号に掲載した記事を改めて下記します。

 「テキスタイル界のパイオニア-藤本經子先生-」  中野恵美子

 「染織」を学ぶために入学した東京造形大学で二人の「織物」の先生に出会った。テキスタイル・デザイナーとして活躍された藤本經子先生とローザンヌの国際タピストリー展その他国際展で活躍された島貫昭子先生である。藤本先生の授業は2年次の「テキスタイル演習」であったと記憶している。3年、4年次に織物そのものの授業を島貫先生から受けた。両先生は「染織イコール着物」という先入観念の強かった私に、「テキスタイル」「タピストリー」という新しい世界の存在を示して下さった。約30年前のことである。その後、社会的にもそれらの動きは盛んになり今日に至っている。今回、ここでは藤本先生についてとりあげさせていただく。

 カナダの東海岸ハリファックスのノヴァスコシア大学のギャラリーで1997年に行われた展覧会のカタログが手許にある。編みと織りが組み合わさった作品写真が美しい。通常では織り得ない組織であるがまさに「名のない組織」である。そこに至るまでの経過を資料を基にたどってみる。

 藤本先生は終戦後、洋裁学校で学び、その後多摩美術大学で染色を専攻した。在学中に一冊の本-『基礎繊維工学』青木朗著、出版:文耀社-に出会う。組織という普遍性を有する世界に接した最初の出会いである。その本に基づいて卓上織機で中細編糸や有り合わせの布をほどいて染めた糸を用いて様々なサンプルを作った。大学卒業間際にアメリカ視察旅行から帰国したばかりの先生からユニークな名門校としてミシガン州のクランブルック アカデミー オブ アート(全米唯一の大学院のみの美術学校。以降CAAと記す)を薦められる。3年後に日本人として初めて留学する。大学卒業以来の夢が実現したのである。私も後年、同大学院に留学したが、造形大2年生の夏休みに、先生の仕事場にお手伝いに伺った折、同校のことを度々お聞きした。まさか後に行くことになるとは考えてもみなかったが、当時は「へ-そんな学校が世界にはあるのか」と遠い国の話しぐらいにしか思わなかった。しかし、留学の話がおきた時私の決断は早かった。潜在意識の中にしっかり存在していた。先生が渡米した1957年には船旅でサンフランシスコまで2週間を要したというが、私の時(1985年)は飛行機でロスアンゼルスでの乗り換え時間を含めて20時間近くかかった。現在はデトロイトまで直行便があり13時間で行ける。時の経過をあらためて感じる。

 言葉の不自由な中でただひたすら織りまくり、卒業作品を制作、そして卒論にとりかかる。その時携行していた本が卒論を書くにあたりに役にたつ。それは『やさしい合成繊維の話』、『第3の繊維』共に桜田一郎著であったが、日本の合成繊維の研究の動機、ビニロンの原料についての知識等を同著から得る。「織物の組織」についてまとめ、友人に英語を手直ししてもらって提出、めでたく卒業、修士号を取得する。卒業後は2年間ニューヨークで旅費代を稼ぐために働き貨物船で帰国。帰国して教職につく。それぞれの個性を引き出すことに努めた。

 教職につきながら当時の状況に疑問を次のように持ち始める。
『染織に関する本を探すと、・つくる方法 ・歴史的変遷 ・特定されたものの写真集などがほとんどである。これらは必要な専門書であるには相違ないが、それに加えてもっと広い普遍的な捉え方が何かある筈だと思っていた。例えば他の分野との間をつなげたり、共有できたりする見方である。しかし実際には何も固まっているわけではなかった。将来にむけて度々会議が持たれたが、私は決め手に欠けていて、単なる願望を繰り返すうち、日本の文化遺産の個別の名称が次々に取り上げられる心配な事態になった。これまでの専門別では欠落するものが出てくるので不十分、歴史的経過を連ねてみても、羅列するだけになる。材質分類から始めれば製造の工程別になってしまう…と、マイナス面ばかりを懸命に挙げているうち、例えば、広い意味の布は、種々のタイプが一つの共通点で認識できる構造の概念の一つで、いわば、ある丈夫さと、やわらかさ、それに生身の人間が着るための最も特徴的な細かい穴、或いは隙間の作り方の種類、またはタイプではないのか?』
染織に関して普遍的な捉え方を求め、広い意味での布の共通項は細かい穴の作り方であるという点にゆきあたった時にはからずも“THE PRIMARY STRUCTURES OF FABRICS” Irene Emery著を人から紹介される。それはある考えにそって現存する古代から現在までの布が再現され、分類された文献であるが、その本に出会って飛躍的な転換をせまられる。タテ、ヨコの線による象徴的な構成を下敷きにしてそこに単純なルールによる線のパターンを探し出して過不足なく充当する。無数のパターンが現れる。それらは交点の状態が「接する」「絡む」…の混在した生産性の非常に低い仮想のパターンであったが、顕在化したものを更に実物の布にするという行為により証明していく。又、組織図については、現在の織物と編み物の表示には全く両者間に関係がないが「結ぶ」も加えると、生産性はあがり、一つの組織となりうることも判明する。図の線と、糸で現れる線とは自ずと違ってくる。
 探究を重ねているうちに「生命の科学」という本で人工血管の記事の中の有孔性に着目し、さらに高分子化学の本の中に多孔物質とういうことばを見つける。合成物ではスチロール、合成ゴム、ウレタン形成シートなど、人工物では織物、編物。天然物では、樹皮や葉っぱ、人間を含む動物の皮や皮膜があげられる。さらに食品を見ていけば寒天、海苔、たたみいわし、パン等である。布に視点をあててみれば材質の種類は多岐に亘っている。これら多孔物質としての唯一の共通点は、天然物にしろ、人工物にしろ、生成、製造の過程で有機的に穴や間隔が作られる点であった。こうした経緯から「名のない組織」の考えがうまれてくるが、さらに形にするために整理した上で以下の①と②をまとめた。

①仮想の形は、先ず作る方法を無視し、勿論技術も考えず、単純なシステムによって洗いざらい出した上、
 A)その中に必ず基本形があること。
 B)基本形の線の特徴は何か。
 C)基本形は全体像の中で何処に位置しているかを見極めるのが目的であった。実物模型は証拠品で、もし偶然にそれが美しければ予期せぬ余得であって、あの煩雑で七面倒な苦労も忘れられる。
②織りに編目の形は、既存の2つの技法を無理は承知で構造的に入れてみる。そのタイプはどれ位あるか、面積比の限界は何処迄かは未だ分からない。(織りに編目は編と書くに書けない程小さな面積の意味である)

以上の考えのもとに生産性は低く存在し難い“無名の”「名のない組織」が数々の試行錯誤の末、実際の形になり発表された。

 テキスタイルを上記のような形で捉え、研究された方は少ない。それにしても組織への取り組みもさることながら、参考とする資料の範囲の広さ、必要事項をすくいとっていく直感の鋭さには驚かされる。

 先生が東京造形大学で教職にあった初期の頃に教わった卒業生は高度な内容の課題と厳しかった先生の姿をいまだにはっきり覚えているという。『クランブルックでは個別指導の方向、つまりそれぞれの考えと速度に従って助言する。疑問に思っていないことを絶対に教えない。具体的な解決策や速効性のある方法はとらない。また、教授は自身のコピー生徒(作品がそっくり)をつくらない、傾向の違う生徒の考えを理解する努力をする。』と同大学院の教育姿勢について述べている。その体験に基づいて少人数ということもあったが、現場では個性を引き出そうと努めていらした。造形大では昨年テキスタイル専攻の卒業生、在校生有志によるZOB展の25回記念展が行われたが、各自の判断にゆだねられた自主的な作品が展示されていた。来場者が「自由な空気」を感じるという感想を述べて下さった。それは藤本先生が造形大の草創期に築かれた空気によるものではないかと指摘する方もいる。知らず知らずのうちに反映されているのであろうか。

 一方、新制作展には1969年から関わっているが、藤本先生の次のような考え方に鮮烈な印象を受けたと当時を知る人は言う。
●新制作は実験の場。
※ 何もないのに大きいものを作ってもしようがない。
※ 企業、商品企画にあわないもの、手の面白さを追求する。
※ テーマ性を有すことが大事。
※技術のみに対する視点なし、考え方に重点をおく。
※ パネル張りは布がかわいそう
※ 過去の物の再現は意味がない。
以上の考え方は今から見ても新鮮で、独自性がある。一方、デザイナーとして企業との仕事を数多く行なっていたことを付け加えておく。

 今回、この記事を書くにあたって、あらためて資料を見直したが、以前、折にふれ伺っていた断片があらためてつながり、CAAを体験したことで、「広く」物を見るという背景も実感として理解できる。私の頃はファイバーアートの境界がより広げられていたところでテーマは異なっていたが、行なわれていたこと、つまり徹底的な討論と個人の尊重は同じである。しかし先生の「名のない組織」を拝見していると、不肖の弟子であることを痛感する。先生のこだわりと追求心、そしてテキスタイルを単に手織りととらえず、広い視野の中で組み立て、捉え直していく姿勢にあらためて敬服する。その意味でもグローバルでアカデミックな先生である。

参考資料
『名のない組織。~、』(「バスケタリ-」20、21、22、23号p.231~270)
“Unnamed Structures in Textiles, Tsuneko Fujimoto, textiles”
 (Anna Leonowens Gallery, Nova Scotia College of Art and Design Hallifax, Nova Scotiaにおける展覧会のカタログ)