「毎日!?暑い ●●子熱にきおつけてくらさい頑張ってください」と8月23日夕に携帯に入ったメール。又 バンちゃんからや・・・と思いながらも「本当に暑いですね!バンちゃんも熱中症に気をつけてね」と短い返信を送った。
バンちゃんとはもう長い付き合いになる。そんな彼女との別れがこんな急に来るなど思いもしなかった。
今月27日 バンちゃんと同じ障害をもつTちゃんからの電話でバンちゃんの死を知らされ、電話口で何度もウソやろ!と叫んだ。
バンちゃんが通所していた作業所に電話して詳しいことが判った。
一人旅行ができる彼女は旅行先の朝風呂に入り、亡くなったという。
バンちゃんとの思い出が次々に頭の中を駆け巡った。
月に何度かメールが入り「●●ちゃ~ん(私のことをそう呼んで)会いたいよ~」と書き込み、時には電話で告げてきた。
耳が遠くて補聴器をつけている彼女は電話よりメールのほうが多く、「だ」が「ら」になったりしていた。
私が障がい者のグループホームに勤めていた頃、一緒に京都まで行き大雪に見舞われて車がストップし困ったこと。
度々 ふらっと外出をする彼女はそのまま帰って来ず、ある時には早朝、警察からの電話で遠くまで迎えに行ったこと。
又 私の家のガレージで夜中に寝ていて近所の方に起こされ、私自身もびっくりしたりしたことや、パチンコ好きな彼女が何回注意されても止められなかったこと。
亡くなったお母さんのお墓参りに一人で行ってきたと嬉しそうに報告してくれたこと。
知的には9歳くらいだと言われた彼女は他の仲間とのトラブルも結構あったが、気のいい仲間たちはいつも彼女のことを許していたようだ。
私の出かける処には、よくついてくることも多かった。耳が聞こえにくくいつも大きな声で話していたバンちゃん。
会いたいという言葉に「又 時間作って会おうね」と言ったまま、6月大阪からの帰りに浜大津駅のホームで偶然あって「会えたね~!」と手を握り合ったのが最後となってしまった。
棺のなかのバンちゃんは綺麗に化粧をしてもらい安心したように眠っていた。
バンちゃんこれで貴女を心配しつづけて亡くなったお母さんの元にいけるね。苦しかった、辛かった,寂しかった、この次生まれてくる時は・・・などなど沢山の想いが心の中でゆれていた。
作業所の仲間たちが大勢 バンちゃんに会いにきてお別れする姿をみて何故かほっとした。