戦没者への何たる冒涜かと思わずにいはいられなかった。死者への追悼や戦争の悲惨を伝える場が
観光地と化し、その行事が風物詩に陥ってしまうのは、戦争は「なくしたいがなくなることはない」と半ば諦めているからではないだろうか。(記事一部分より)
戦没者への何たる冒涜かと思わずにいはいられなかった。死者への追悼や戦争の悲惨を伝える場が
観光地と化し、その行事が風物詩に陥ってしまうのは、戦争は「なくしたいがなくなることはない」と半ば諦めているからではないだろうか。(記事一部分より)
朝夕水やりをしているが、今年は朝顔の咲くのが遅いなぁ・・・と思っていたら、縁の下から朝顔が顔を出しているのを見つけびっくり!「こんなところで咲いていてくれたんやなぁ・・・」
去年の朝顔の種がこぼれてたくましく咲いていた。
見ると他にも・・・裏の庭の境にかけていたスダレにも・・・
朝顔さんに申し訳ない気になった。
一方今年、Nさんが台所から見えるようにと長い棒にネットを高く張ってくださった方の朝顔は葉はぐんぐん伸びてきたが、一向に咲かない と思っていたら一輪咲いていた!
凄い!どちらの朝顔さんもありがとう!
7月30日は土用の丑の日だった。鰻は大好きで食べたいと思うが店頭に並ぶ鰻をみて立ち止まるだけ。時に小さく切った鰻がご飯の上に並んでいる鰻弁当か、半分だけの鰻が千円以下で売られている時に買う。
毎年、土用の丑の日は鰻専門店で娘が買ってきてくれるが、今年も買いに行くと炭火で焼く鰻を沢山の人たちが行列を作り待っておられたとか。
娘は諦めて他の店で買って持ってきてくれた。感謝!感謝!
私がいつも買っている鰻とやはり格段違う美味しさに「元気でたぞー!」と。
昔、母は北野の下の森にある小さな店の炭火で焼く鰻が大好きでよく買ってきた。その頃も結構高かったと思うが「姉さんに会って買ってもらった」といつも言っていた。
近くに住む姉さんとはいろいろの事情であまり交流がなかった筈なのに,鰻の時は金持ちの姉さんが出てきたことを思い出した。