70年以上も前のご近所との付き合いを思い出していた。
私がまだ小学校へあがる前、終戦後4年か5年だった。母親に叱られると走って近所のYさん宅に逃げて入った。お兄ちゃん、お姉ちゃんがおられ可愛がってもらった。そこのおじさんが亡くなった時も火葬場に連れて行ってもらいお骨上げをした。その時のことを鮮明に覚えている。死んだらこんな風になるのかと子供心に思った。おばさんやお兄さんたちの悲しむ姿は全く覚えていない。
又、別の家のお兄さんには比叡山のお化け屋敷に連れていってもらい怖さのあまりお兄さんの肩に顔をうずめて抱かれていたことがあった。
別の家のお兄さんには「琵琶の実」の絵を描いてもらった。
私は生後4か月で生母が亡くなり7か月で養父母にもらわれ一人っ子として大切に育てられたのもあるが、その頃は既製服が今のようにあまり店に売られていなかったので母が頼んで大家さんの娘さんにはいろいろな服を縫ってもらったりしていた。
ラジオから流れてくる広沢虎造の浪曲、緑の丘の赤い屋根・・・鐘がなるなるの歌。
近所の者が集まって傘の芯の内職をしたりもしていた。
皆が経済的に苦しかったから近所同士が助けあって生きていたのだと思う。