忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

「終活フェアー」から

2015-02-22 | 日々の業

昨夜見た「終活」のテレビ。人生の最後をどう迎えたいですか?という内容だった。20年後には多死社会で病院も満杯状態とか。

「終活フェアー」とか言うのを葬儀会社が催して野菜の詰め放題、鞄の無料お持ち帰りなどしたり、入棺体験、葬儀費用の見積もりと盛りだくさん。

エンディングコーディネーターという人もいる。

ワァ~ 世の中すごいことになっているんやなぁ・・・・と思った。(何でも商売かいなとちょっと横目でみてみる)

いやいや 親切に教えてくれてはるにゃなぁと思い直して、父母や夫の亡くなった時、私はどんな様子だったかなぁと思った。

人の思いはそれぞれだが、私の場合父が亡くなった時、喪主になり、どうしたらいいのか戸惑ったが、それでも親戚の人たちに助けられ何とか済ませることが出来た。

父は自分が死んだ時の後のことなど考えもしなかっただろうし、そのことで私は父をどうこう思う気もなかった。多少はしんどい目をしたが返って悲しみがそのことで薄められたような気さえする。

何もかも準備万端整えて死ぬ準備? 遺された者へのおもいやり?

子は悲しみをこらえつつ迷いながらも親の葬儀を進めていく、通帳どこや、保険証は?、写真はと、ばたばたしながら別れていく。

そしてやっと何もかも済んでから、ジワ~とやってくる悲しみの大波。そして「死」とはなんやと考える。

私は今 お仏壇の引き出しに「事前協議書」と気に入った自分の写真、帰敬式で受けた法名を入れている。

「事前協議書」には自分が突然もしくは病気入院中意識がなくなり回復の見込みがない場合は延命治療はしないよう希望しますと書いている。

昔、秋葉英則先生の講演で「子供にあんたの世話にはならへんなんて言ったらダメですよ。年いったら世話になるし、よろしゅう頼みますと言いなさい。子供に責任もたせ、自覚させることが大事です。」と言われた言葉がずっと心に残っている。

 

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