兵戈無用(ひょうがむよう)
“武器も軍隊もいらない”という意味で『大無量寿経』に出てくる言葉で「不殺生」「殺すなかれ」という釈尊の世の祈りを示す言葉であると書かれている。
多くの戦争が「自らに正義あり」として行われたが、殺戮することに冠せられる「正義」はない。
https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000qp9.html
戦いが始まる時にいつも思う。どうして人間は戦い、相手を倒すことばかりを考え仲良くしていく手だてを考えないのだろうか?
釈尊の時代にも戦争があり一度目は釈尊も神通力とかで相手の侵攻を止めたが二度目の時には止めず、とうとう釈迦族は滅びたという。
人間の性の中に闘わなければ自分が殺されるという本性のようなものが埋め込まれているのだろうか?
科学の発達で素晴らしい技術やその他の事が開発されている現代社会で、人間は肝心な心の開発をしなければ生き残れないような気がするが・・・
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