亡夫の50回忌法要を昨日済ますことができほっとしている。
吃音の組織立ち上げ時ともに活動した方々にも来ていただきたかったが、コロナ禍のなか親族だけのお参りとなった。亡夫の兄弟姉たち5人のなかで残っているのは長兄だけとなってしまった。
元々亡夫の親族は皆 陽気で楽しい人たちばかりだったし、特に一番下の弟さんはいつも皆を笑わせてくれていたが、その弟さんまで3年前に突然亡くなった。
長兄は毎日,末弟を見舞いに京都から大阪の病院まで行かれそうだ。弟や妹が皆逝ってしまった悲しみはどれほどのものだっただろうか・・・
住職のお経の最後の方で皆でお正信偈を唱えた。
私が小さかった頃、近所の方が亡くなると皆がその方の家に集まり鈴を鳴らしながら ご詠歌を唱えた。悲しみを堪えて亡くなった方を送りだすと共にその家の人と悲しみを共有するという意味合いもあったのかもしれない。母に連れられて意味も分からないままに口ずさんだことを思い出した。
今は隣の方が亡くなっていてもわからなかったり、もう数ヶ月前に亡くなっていたと聞き驚くこともある。
人の亡くなり方も時代と共に変わっていくものだなぁと思った。
50回忌法要のことから話があちこちと随分それてしまった。
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