愚答の責任は、半ば以上愚問にあります。
愚問に賢答を返せる人は数少ないからです。
質問には彩色があり、賢問には光沢があります。
聞き出す力を持った人の素晴らしい質問は黄金問と呼ばれるそうです。
そこに生まれた対話の効果が、また輝きを増します。
質問には、答えを何かの役に立てようとする可極性のものと、回答者やその関係者を引きずり降ろそうとはかる減極性のものがあります。
減極性の質問は、質問者の思考力には無関係に、言葉の端を入れ替えるだけでいつもでも続けられます。
それを仕事と思っている記者も頓珍漢、その記者を常にけしかける編集者も頓珍漢、そうなると、その社の体質が、無光沢なあまり上等でない色に染まっていきます。
その社は、やがて令和の新世代にそぐわなくなり、褪色減光、果ては消滅の道を辿ることになるでしょう。