ある言葉が、どこかで何かを賞賛する形容に用いられると、どんなもの、どんなときにも場合にも、その言葉の意味自体が優れたもの、良いことであるかのような錯覚を招き入れることがある。
そういう言葉は流行しやすいから、たちまちWWWに乗って世界に広がり固定してしまう。
一つの例が「多様性」である。
これが、GXXと呼ばれるあの野望競技会に持ち出されたりすれば、拡散効果は上々で、無差別も混濁も「多様性」の掛け声のもと善行良策に仕立てられる。
単なる状況の形容だった「多様性」がめざすべきこととして国の政策にまで取り入れられる。
そうなったとき、そのめざしのしくじりは、ちょっとの手直しぐらいでは済まなくなるのだ。