「抜く」という言葉は、多種多様に使われますが、最も多いのは中に入っているものを抜き取る所作です。
抜く目的には、中のものを役に立てるための場合と、役に立たないので抜く場合があります。
役に立てるためとはいっても、これがまた多種多様で、善悪さまざま、抜く手法も善悪さまざまです。
また、染め抜きのように、抜いたものではなく抜かれたあとを目的にすることもあります。
この抜かれたあとの出来栄えで、物の値打が定まります。
抜かれたあとが大事なことは、物だけでなく、時の場合にもあてはまります。
競技などでは抜かれたあとが大事な瞬間です。
そこでの対処の仕方が大事とわかっていても、できるかできないかで、その人の一生が定まることさえあります。
抜くというのは人間のすることですから、抜き方にその人間の性格が表れます。
抜く手を見せずという剣の極意のように、抜く行為そのものは、得意になって見せるものではありません。
他社に先駆けて特ダネ報道をものにしたときでも、抜いたあとが、抜いた人の値打にかかわってきます。
抜く行為自体は、やまとごころとの折り合いがよくないので、喧伝されないほうが抜いた人の身のためになると思うのですが、抜いたことを自慢の種にするグローバル・タイプの跳ね返り者もいます。
それが三流ジャーナルを賑わし、また売れるという具合で、文化の質の下方修正を自分で続けているのです、いやはや。
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