名古屋から追い出されたあの似非芸術品は、その後どうなるのかと思ったら、ヨーロッパにも変わった人がいて、それを買い取ったそうです。
そんなものを買ってどうするのか、バルセロナで来年開催予定の「フリーダム・ミュージアム」に持ち込んで展示するつもりとか。(jp.sputniknews)
もてあましたカネとヒマを使うなら、もう少し人々の気持ちが安らぐようなことを思いつかないものでしょうか。
名古屋から追い出されたあの似非芸術品は、その後どうなるのかと思ったら、ヨーロッパにも変わった人がいて、それを買い取ったそうです。
そんなものを買ってどうするのか、バルセロナで来年開催予定の「フリーダム・ミュージアム」に持ち込んで展示するつもりとか。(jp.sputniknews)
もてあましたカネとヒマを使うなら、もう少し人々の気持ちが安らぐようなことを思いつかないものでしょうか。
「民民のことだから、民民でやればいい」
この切り抜き部分だけを見ると、ずいぶん投げやりなことばに聞こえます。
悪口雑言手のひら返しを続けるおかしな国の姉妹都市との交流事業に、区切りをつける勇気を持たない首長が、都合のよい後ろ盾を作ろうとしたのか、そう見せようと話をばらまいた人がいたのか、ニュースにわざわざ取り上げながら実際の状況をわかりにくくしている記事があります。
『安倍晋三首相は13日夜、地元の山口県下関市で後援会関係者と会食した。同席した前田晋太郎市長が、姉妹都市の韓国・釜山市との民間同士の交流事業について説明すると「民民のことだから、民民でやればいい」と述べ、交流を推奨した。出席者が明らかにした。』
逃げ出し口を少し開けてあるような最後の10文字が、切って並べただけのおつまみ記事の味をいっそう悪くしています。
寄りかかろうとして外されたけれど、杖だけは手放していないと、見ていたような取り次ぎ話を仕立てるには、稚拙ぶりもひとつの手法なのでしょうか。
開始から3時間を過ぎた184手目に、二歩を打って九段の棋士が負けました。
将棋の反則の中では、二歩がいちばん多いそうです。
これは愚だもの素人のかんぐりに過ぎませんが、劣勢を認め敗戦宣言をするより、うっかり反則であなたの負けと言ってもらったほうが、意地が立つと思う人が多いのでしょうか。
素人のヘボ将棋でも、二歩はまだ見たことがありません。
こちらのなぜは、また別にありますが。
わかっていてもはまり込めば、足を取られて抜けなくなる、愚だもの劇の筋書きがあります。
四千年にわたって、くるくるとひっくり返され作り変えられてきた、巨大な舞台装置の上で演じられる大芝居は、なかなか幕を閉じる気配がありません。
主役が代わっても、いったんの暗転で、幕が引かれずに次の演目に引き継がれます。
大陸側の隷属化にひと区切りがついて、海洋側の舞台装置作りがいま着々と進んでいます。
乗ったら終わりの地獄舞台です。
危険なつながりは、縄梯子のうちに切り落とさなければなりません。
えびす顔と、多少のほろ苦さをたたえた空気感に誘われて、舞台装置作りのお手伝いに励む人たちがいます。
目先の財に頭のしびれた政財界の人びとです。
掲げているのは、平和、友好という旗印ですが、だれからも反対されることのないこの言葉は、自己陶酔用のカラ念仏でしかありません。
また、ニュース記事の話です。
「ローマ法王フランシスコは10日、10月に行われる天皇陛下の「即位礼正殿の儀」に枢機卿を派遣することを決めた。ローマ法王庁(バチカン)が発表した。儀式では陛下が外国元首ら国内外の賓客を前に即位を宣言される。」
この記事を書いたのは外国人でしょうか。
記事が出来上がるまでに編集上のやり取りがあったかどうかはわかりませんが、こんなことが想像されます。「ローマ法王がこういうことを決めた」という原稿を作りました~~「誰がそれを発表したのかわからないではないか」~~「ローマ法王庁が発表した」と書きくわえました~~「ローマ法王庁とはどういうところだ」~~「(バチカン)」を書きくわえました~~「即位礼正殿の儀はどういう行事なのか」~~「儀式では・・・宣言される」が書きくわえました~~「しょうがない、これでいいか」
これが、国のだいじな儀式に、海外から代表をお迎えすることを伝えるニュースの記事なのでしょうか。
ニュースは、事実を正確に伝えなければ、望ましい目的をかなえられません。
望ましいとわざわざ言ったのは、多くの人にとって望ましくない目的を隠して、ニュースに見せかけた記事がばらまかれることもあるからですが、ここはその話ではありません。
次の文で結ばれているニュース記事がありました。
「上畠市議によると、8日午前、シンポジウムの実行委員会に津田氏の動画を提示して思想的な偏りがあると主張し、登壇者を見直すよう求めた。」
この記事でわかるのは、津田という人の動画に思想的な偏りがあると主張した人がいるということだけで、前の部分を読み返してもわからないことがたくさんあります。
1.見直しを求めたのはだれなのか。
2.シンポジウムとは何を指しているのか。
3.登壇者とはどういう場に登壇する人なのか。
ニュースは、クイズ仕立てではなく、何度も読み返さなくても一度の通読で、あるいは流し読みでも、事実がわかって真意が伝わるように、なぜ書かれないのでしょうか。
県知事が、国の尊厳にかかわる大失敗をしでかし、他の地の知事から辞職相当と評せられ、くやしまぎれに「このレベルの人がXXの代表なのかと思うと驚いた」とぼやいていたことが報じられています。
この言葉は、山彦のように「このレベルの人がYYの代表なのかと思うと驚いた」と跳ね返り、さらに諸処方々に拡散します。
YYの知事さんは、「代表」ということが、知事という仕事をするために、場合々々に必要な機能の一つであることに気が付いていないのかもしれません。
代表であることが知事職のすべて、あるいは代表が知事職の別名とでも思っているのでしょうか。
それならば、この騒動のもとになった手ぬかりも、起きて当たり前のようにさえ思えてきます。
しかし、手ぬかり問題はもっと前にあります。
選挙のときに、この人を推薦した人たちは何を考えていたのかということです。
このレベルの人を候補者に置かれて、ほかに選択肢を供せられずにさあ選べと言われ、後からことが起きたときに選んだ人がバカ呼ばわりされたのでは、YY県の住民は勘弁してくれと言いたくなるでしょう。
県知事が、国際芸術祭という行事の実行委員会会長でありながら、「よきにはからえ」のお任せ気分だったのか、あるいは口をはさめないような空気がつくられてしまっていたのかはわかりませんが、とんでもない展示物を出させてから引っ込ませたという騒ぎが起きました。
躊躇しながらも引っ込ませる理由づけがほしかったときに、きっかけを与えてくれたのが、やや過激にも読み取れるあのギャグだったと思います。
時事ドットコムニュースでは、知事は「ガソリン携行缶を持って行く」という京都アニメーションの放火殺人事件を想起させるファックスもあったと明かしていると報じていますが、文面がどうであったのか、正確な報道は見つかりません。
もう少し丁寧な言葉を使って、これを伝えていた人もいます。
いずれにしても、火を着けるぞとまでは書かない心遣いはあったようです。
ところが、時の氏神のようなこの発信者を、探し当てて逮捕させるという、助けたカメを蹴とばしてとでも唄われそうなことを、この権力者はやってのけました。
自ら注意の行き届かなかったことの始末の付け方の舞台を、他に罪人を仕立て、問題の軸心をパッと入れ替えるこの演出が、芸術的な方法とでも思っているのでしょうか。
土曜日の郵便配達をやめることを、国会で決めようという話がまとまったことが報じられました。
土曜日に配達されなければ困るものなら、発送者が速達や宅配便などそれぞれに方法を考えればよいので、別段困ることはないのに、まず国会で決めて法律を改正しなければならない2年越しの大仕事のようです。
利用者からみれば、日本郵便が、期限を区切って、それ以降は土曜日の配達を止めますのでご承知くださいぐらいのお知らせがあればよさそうな気がするのです。
何年も前に大騒ぎをして民営化された事業のやり方の、ごく端っこのほうをちょっと変えるだけなのに、なぜこんなに面倒な愚だもの屋さんのような手続きがいるのでしょうか。
民営化されたと言われている事業が、事業主と名前が民営らしく変わっただけで実質は国営なのでしょう。
実際に変わったのは、窓口に極端に偉そうな顔をしたお姉さんがいなくなったことぐらいです。
「目的は政権交代」と言い放つ人がいます。
もちろん、政権を取ってしまえば国を売り渡すことも可能などとは、口が裂けても言いません。
人は、いちばんだいじに思っていることは口にしないといわれます。
政権交代は政治活動の経路であって、目的にできるようなことではないのに、論理の通らない「目的は政権交代」という表現でも、巧みな話し方のもとではさらっと聞き流されます。
その役者が、演説のまねごとでも96万票を集められたのは、ただ芝居上手であることの証です。
もくろまれている次の演目は、都知事という大舞台でしょう。
都政の安定でも向上でもなく、知事という権力の座が主題です。
どれほど愚だもの好きでも、役者、芸人をあちこちで首長に選んだ失敗を、来年夏に再び繰り返すことのないよう、そのときには都民の皆さんが頭を冷やして投票所に向かわれるよう願っています。
どうぞ一年がかりでいつの間にかだまされないように。
70歳になってまだ第二反抗期から抜けきれない、成長が遅いというより、成長までの寿命がどうかという国があります。
可愛がりすぎるとこうなるという見本になってしまった隣国、互いに引っ越しができないことだけはどうにもなりません。
いいわいいわ、よしよしで済ませていることが、どれほど始末に負えない状況をつくる愚だもの行為になるのか、国の辿ってきた道は、はっきり記録に残しておかなければなりません。
ロシアで山火事が続出、燃え広がってしまう理由が、4年前に改められた消火関連法によるものだと聞いては、恐れ入るより仕方がありません。
山火事が起きたとき消すか消さないかは、費用対効果によって判断し、消火費用が損失額より大きければ消さなくてよいことになっているというのです。
さすが広大な土地を持った国の人は考えることが違いますが、地球環境全体のことに思いが届かないのでは、やはり愚だもの思考のそしりはまぬかれないでしょう。
多少なりとも関心を寄せていることがらについて、人々がどういう気持ちを抱いているか、それが集計されると「世論」と呼ばれる数値ができあがります。
ネット上の世論は、設問ボタンを作るときに回答が先にふるい分けられます。
そのボタンをポチっと押した人の指の動きを数えたものですから、「論」というほどのものではありません。
それにしても、通常の統計上では切り捨てられるほどの割合でしかない支持を頼りに、愚だもの質問を繰り返すこの人は、何を考えているのでしょう。
執念の表現、苦節とも言えない楽慣でも、それを十年続ければ、恵みの釣り糸が垂れてくるかもしれないと、かすかな望みをもってのことなのでしょうか。
失業率が低いほど社会は安定すると、おおかたの人は思っています。
ところが、縁もゆかりもなく就職先を選ぶことができた人には、そこで選択の自由が舞い込みます。
獲得したつもりの人材に逃げられてしまうこともあって、それぞれの企業の人事部門にとっては、安定どころではありません。
そこに「辞退予測」という奇妙な商品が生まれました。
就職活動をしている人に、「内定辞退率」という数値データを貼り付け、それを集積して「辞退予測」という人事担当の心配払拭用便覧にしたものです。
こんな愚だものの缶詰のようなものでも、人事さんには働き方改革になるのでしょうか。
人のたくらみは、狙いがかなった後は、素人目にも見えみえのように感じられます。
計画的落選を「最悪」とわざわざ言いつのれば、腹の中はバンザイだったとすぐわかります。
しかし、愚だものの口車に一度は乗っても、二度目は通じません。
次にどこから出るか、目をつけられたところの選挙区の人は、なかばバカにされ、見くびられているのです。
くれぐれもご用心を。