賞与は、働きへのお礼か、利益の分配か?
利益の分配とするなら、利益の計算で都合のよい数字を出せば、それで賞与が計算される。
懸命に働いたこと、命をささげてまで世の中に役立ったこと、そんなことはどうでもよいとされるのだ。
医療従事者に支援を!
10万円もらったらクルーズの予約でもしてこうかという人など、後の後回しでよい。
賞与は、働きへのお礼か、利益の分配か?
利益の分配とするなら、利益の計算で都合のよい数字を出せば、それで賞与が計算される。
懸命に働いたこと、命をささげてまで世の中に役立ったこと、そんなことはどうでもよいとされるのだ。
医療従事者に支援を!
10万円もらったらクルーズの予約でもしてこうかという人など、後の後回しでよい。
謝罪という誠意表明方式は万国共通か?
答えは否、謝罪を誠意の証として受け容れる精神文化は、日本人と日本人によく似た心を持った人にしか通用しないからである。
顕著な実例がここに示されている。
問題は、タイヤの品質ではなく、車体メーカーが推薦した乗り心地優先のフニャフニャ空気圧にあった。
時の過ぎるのは早い、後での効かないこともあるので、見るなら今すぐ!
「あらめの配給だよ」と呼び声が聞こえると、バケツを持った主婦たちがぞろぞろ連れだって配給所へ向かう。
バケツ一杯ではない適当な分量のあらめを入れてもらって帰ってくる。
わかめと違い、ごわごわと堅そうなその海藻で、何日間かは米の代わりにして食いつなげと、直接には言われなくても、そのあとしばらくは何も来なかったから、そういうことなのだった。
あらめをゆでていて目を離している間に、炭のように焦がしてしまったおばさんがいた。
「あーら、焼きあらめになっちゃった」このぐらい呑気でなければ、敗戦直後の厳しい食糧不足のもとでは生き延びられなかった。
炭といえばおよそ真っ黒なものを思い浮かべるが、カーボンには、ブルーカーボン、グリーンカーボンと名付けられた部類のものがあるという。
ブルーカーボンは、海洋生態系に吸収され固定蓄積される炭素で、グリーンカーボンは、陸上の植物によって森林などに蓄積される炭素の呼称とされている。
海のブルーカーボンの研究は日本ではまだこれからだそうで、その技術研究組合が認可されたというニュースがあった。
この研究が、海に生成されるものなのに経産省の水産庁系でもなく、CO2 吸収量の算定や吸収量の拡大技術を研究するとされながら環境省でもなく、これが国土交通省扱いであるということがどうもよくわからない。
しかも、生成されるブルーカーボンの利用についてではなく、定量的評価、技術開発及び資金メカニズムの導入等の試験研究が目的と聞いては、よくある研究費獲得のための組合設立ではないのかと勘ぐりたくなる。
これではブルーカーボンというよりグレーカーボンに近いのではないかという気がしている。
上から目線は嫌われる。
目線を出している当人は、自分のそれには気づかない。
目線は目線と呼ばれても、外に出るときは姿勢にも言葉にも表れる。
言葉づかいは目線形成の大きな要素。
ものを言うとき、まっすぐ向いているつもりでも、いつしか鼻の穴が相手の目のあたりを向いている。
こんな例もある。
災害地にいて、これから現地の状況視察に向かおうとする林野保全の責任者に、電話で話を聞いた後の言葉が「気を付けられたほうがいいですよ」
ジャーナリストを自称するベテラン記者の、多分あいさつのつもりがこれ。
郵便番号は便利です。
Webサイトの住所書き込み欄に、郵便番号を入れると町名までパッと書かれます。
郵便番号は、宅配便の行き先まで選択して、さっさとそこに荷物を持っていきます。
ただ、便利なことには落とし穴もついているので気を付けなければなりません。
先日、郵便番号の頭1字違いで、神奈川の我が家に来るはずの荷物が青森まで行ってしまいました。
宅配伝票にも郵便番号を書き入れるようになっていて、それだけを見てパッと動いたようなのです。
郵便番号と住所の頭とが照合されていれば、その間違いはなかったと思いますが、手書きの伝票では、そうなっていなかったようです。
間違いの発生確率と再搬送の手間と、チェックシステム構築の費用とのコスパ問題だと思います。
宅配屋さんもいろいろ大変、ご苦労様です。
ラジオ放送のニュースではそう呼んでいたが、母親という呼び名の当てはまらない人がいる。
幼児を置き去りに、遠地に住む男に逢いに行っていたという。
ニュースで呼ぶなら女性だろうか。
母親は呼び間違いに間違いない。
射程7kmという、ものすごいライフル開発の報があった。
7kmもの遠方に照準をどう合わせるのだろうか。
突風や動物が弾道を変えたり遮ったりするのをどう扱うのだろうか。
百発一中ぐらいなら何とかなりそうだが。
ダムは魔物である。
隣国では、貯水可能とされる水位約2割を残しながら大量放水をしていると聞く。
ダムが壊れそうで危なければ、発電の名目で、下流の洪水を承知で放水、日本では考えられない。
ところが、この日本でも、いま大洪水が起きている。
その球磨川には、荒瀬ダムという大きなダムがあったのに、日本初のダム撤去という珍工事をやってしまった。
川の流れを止めることが自然に逆らうという文学的発想からか。
平常の水量ならば観光にも環境にも甚だ好都合だったが、平常でなくなったときどうなるか、それを徹底検討したのだろうか。
ダメならまた作ればとは、まさか考えなかったとは思うが。
ダムをなくせとか、進んでいる工事をやめてしまえとか、権限を握った人が考えやすいのも、ダムがもつ魔力の一つであるようだ。
水が引いたら、元に戻して終わりではなく、流域近くに住む人々にひどい苦汁を再三なめさせないよう、省庁領域の枠を超えて真摯な共同研究を進めてもらいたいと思う。
官房長官が振る旗を待たずに、閣僚も関係議員も官僚も、それぞれ自分の旗を持っていてほしいものである。
運転していた時はまだ酔いが回る前だったというこじつけに救われて、免許取り消しを免れた人がいた。
気の利いたつもりの奇妙な見解で、こんなマンガ裁きを楽しんでいられる司法界。
妙見様も平和ボケなされてかな。
麗しき尊顔を拝し奉り、と挨拶されてどういう顔をするか、それによってその人の顔が尊顔と呼ぶに値するかどうかが決まるだろう。
入閣要請を断った理由を聞かれて、「あなたは閣僚をやったことがない」といきなりジャブをかましておいてから「私が受けなかったのは憲法に対する考えが違うからだ」と答えた偉ぶり顔がお好みの人もいる。
俺が総理をが見え見えの尊顔大師様には、候補の資格すらないと思うのだがどうだろうか。
7月1日の朝刊第一面、黒塗りの記事、見出しは「香港は死んだ」
さすが、と思ったとたん、その下の左側に目が行く「習氏国賓来日に重大な影響」、なんだこれは。
黙っていて自然消滅を待つはずと思っていた国賓問題を、なぜわざわざここに引きずり出すのか。
伝えなければならないことを、まっすぐ伝えること、それこそ新聞が新聞であることの証なのに、国賓問題の蒸し返しが、ここで伝えなければならないことなのか。
絶妙のバランスと言えば聞こえはよいが、この153平方センチの紙面が、日本人のひ弱さをことさらに表明してしまった、まことに残念である。