今日はジョナサンのサッカーがあるので、みんなで朝から
出かけた。
お母さんが看護婦で夜勤明けなので、近所に住むジンバブエ人の
男の子(ナイジェル)も毎週一緒に連れて行ってあげている。
で、今日はナイジェルのお母さんが差し入れ当番だったので、
彼女が用意したオレンジを彼女に代わって持っていってあげた。
試合も終わって、バタバタしているとき、預かったオレンジ入りの
タッパーをマイクがどこかに置き忘れ、紛失。
マイクが必死になって探している間に、売店のおばさんが
似たようなタッパーを彼女の車に持ち込んでいるのを発見。
マイクが「置き忘れたんだけれど」と話しかけたけれど、
しらばっくれられた。
なんだか最近、本当に運が悪い。
ま、マイクが忘れっぽいのはどうしようもなく、
いっぱい手に荷物をもっていたので、「危険だなぁ」と思って
わたしのバックにジョナサンのものを入れるように言った矢先。
うっかりミスで、タッパーの弁償をするはめに。
責任という観点から言ったら、失くしたのはわたしたちの
責任ですから。
といっても、タッパーが一個18ドルくらい(1700円くらいか?)
するんですよね。決して、めちゃくちゃ安くはないです。
だから、誰かが持って行っちゃったんでしょうけど。
だから、ナイジェルのお母さんに対して、「ごめんね」だけでは
済ませられない。
でも「なんだかなぁ」って感じです。
人助けして、盗まれて、弁償かぁ。
あるとき、友人のご主人がこういいました。
「道端に誰かが倒れていても、助けない。絶対手を出さない。
その後何かあったときに責任を問われたくないから。
救急車に電話くらいはするかもしれないけれど、「あの時、動かさなければ
よかったんだ」とか言われても責任とれないし。」
「ん~、理屈はわかるが。わたしならとっさに声かけたり、危険な場所
だったら動かしたりするなぁ」と思いました。
『誰かに何かをしてあげるというのは責任が伴うから、人助けなんて
しないに限る。』
という理屈が見え隠れしてなりません。
「自分のことは自分で守る」という意識が徹底しているなぁと思います。
「他人の責任を持てるなんて思うほうが傲慢」という理屈もありかも
しれません。誰も『100%何も起こらない』とは断言できないから。
だから、他人の子供を車に乗せるのを嫌がる人もいると聞きます。
自分の権利と責任を守ることで必死。
その理屈はわかる。
でも、安易に人助けをするのを『無責任』と言い切れないわたしは、
お人よしのおバカさんなの?
親切って、無責任なの?
わたしには、よく分かりません。
かなり前の話になりますが、確か東京だったと思いますが、韓国人の
男子留学生が、線路に落ちた人を助けるために線路に入り、落ちた人は
助かり、彼は列車に轢かれて亡くなってしまったという痛ましい事件が
ありましたね。
彼の行為は『無責任』だったのか?
線路に落ちてしまった人が事故にあうのは、彼(彼女)の責任
なのだから、例え轢かれたとしてもそれは、その人の責任であって
ほかの人の責任ではない。言ってしまえば、自業自得といって
見捨てるのが当然なのか?
だとしたら、彼の死は「無駄死に」だったのか?
わたしは、そうとは思えません。
助けるときに、そんなこと誰も考えない。
そんな理屈、誰も唱えない。
困っているから助ける、それだけのことだと思う。
とにかく、感覚の違いというか、価値観の違いというか、
時々、どうも息苦しい社会だなぁと思うのであります。
かといって悪いところばっかりじゃないのは確かなんですけれどね。
出かけた。
お母さんが看護婦で夜勤明けなので、近所に住むジンバブエ人の
男の子(ナイジェル)も毎週一緒に連れて行ってあげている。
で、今日はナイジェルのお母さんが差し入れ当番だったので、
彼女が用意したオレンジを彼女に代わって持っていってあげた。
試合も終わって、バタバタしているとき、預かったオレンジ入りの
タッパーをマイクがどこかに置き忘れ、紛失。
マイクが必死になって探している間に、売店のおばさんが
似たようなタッパーを彼女の車に持ち込んでいるのを発見。
マイクが「置き忘れたんだけれど」と話しかけたけれど、
しらばっくれられた。
なんだか最近、本当に運が悪い。
ま、マイクが忘れっぽいのはどうしようもなく、
いっぱい手に荷物をもっていたので、「危険だなぁ」と思って
わたしのバックにジョナサンのものを入れるように言った矢先。
うっかりミスで、タッパーの弁償をするはめに。
責任という観点から言ったら、失くしたのはわたしたちの
責任ですから。
といっても、タッパーが一個18ドルくらい(1700円くらいか?)
するんですよね。決して、めちゃくちゃ安くはないです。
だから、誰かが持って行っちゃったんでしょうけど。
だから、ナイジェルのお母さんに対して、「ごめんね」だけでは
済ませられない。
でも「なんだかなぁ」って感じです。
人助けして、盗まれて、弁償かぁ。
あるとき、友人のご主人がこういいました。
「道端に誰かが倒れていても、助けない。絶対手を出さない。
その後何かあったときに責任を問われたくないから。
救急車に電話くらいはするかもしれないけれど、「あの時、動かさなければ
よかったんだ」とか言われても責任とれないし。」
「ん~、理屈はわかるが。わたしならとっさに声かけたり、危険な場所
だったら動かしたりするなぁ」と思いました。
『誰かに何かをしてあげるというのは責任が伴うから、人助けなんて
しないに限る。』
という理屈が見え隠れしてなりません。
「自分のことは自分で守る」という意識が徹底しているなぁと思います。
「他人の責任を持てるなんて思うほうが傲慢」という理屈もありかも
しれません。誰も『100%何も起こらない』とは断言できないから。
だから、他人の子供を車に乗せるのを嫌がる人もいると聞きます。
自分の権利と責任を守ることで必死。
その理屈はわかる。
でも、安易に人助けをするのを『無責任』と言い切れないわたしは、
お人よしのおバカさんなの?
親切って、無責任なの?
わたしには、よく分かりません。
かなり前の話になりますが、確か東京だったと思いますが、韓国人の
男子留学生が、線路に落ちた人を助けるために線路に入り、落ちた人は
助かり、彼は列車に轢かれて亡くなってしまったという痛ましい事件が
ありましたね。
彼の行為は『無責任』だったのか?
線路に落ちてしまった人が事故にあうのは、彼(彼女)の責任
なのだから、例え轢かれたとしてもそれは、その人の責任であって
ほかの人の責任ではない。言ってしまえば、自業自得といって
見捨てるのが当然なのか?
だとしたら、彼の死は「無駄死に」だったのか?
わたしは、そうとは思えません。
助けるときに、そんなこと誰も考えない。
そんな理屈、誰も唱えない。
困っているから助ける、それだけのことだと思う。
とにかく、感覚の違いというか、価値観の違いというか、
時々、どうも息苦しい社会だなぁと思うのであります。
かといって悪いところばっかりじゃないのは確かなんですけれどね。