変わっているとか、人と違うとか、集団生活になじめないとかいうことが、問題であるかのように考えがちな画一化を重んじる社会で、自分を見失わない、回りにいるすべての人の個性を尊重するために、以下の『信条』は誰にも当てはまる、大事なことなのではないかと思います。
「 支えの信条 (A Credo for Support)」
ノーマン・クンツ、エマ・ヴァン=ダー=クリフト作
(共に障害者で障害者権利運動運動家)
歴史を通じて、
障害を持つ者たちは、
産声と共に見放され、社会から見捨てられ、
宮廷の道化師として嘲笑われ、
ナチスドイツ時代にはガス室に送られ、
そして今も尚、隔離され、施設に入れられ
「行動管理」という名の拷問にさらられ、
虐待され、犯され、安楽死においやられ、
そして殺され続けている。
今日史上初めて、障害を持つ人々が、
己の権利に基づき、
価値ある一市民としての存在を主張し始めた。
ここに潜む落とし穴は、社会が彼らの叫びに対し、
公平と尊重ではなく、
救済と慈悲で応じてしまうという危険
だから あなたに届けます。
支えの信条
私たちの障害を問題として見ないでください。
障害は私の一部です。
私を欠陥人間として見ないでください。
私を異常で無力な人間として見ているのは
あなたなのです。
私のことを直そうとしないでください。
私は壊れてなんかいません。
支援してください。
そうすれば私なりの方法で社会に貢献できるのです。
私をあなたの患者として見ないでください。
私もあなたと同じ一市民です。
あなたの隣人として見てください。
人は皆、人に支えられて生きているということを
忘れずにいてください。
私の行動を矯正しようとしないでください。
静かに聞いてください。
あなたが不適切行動と決めているものは、
私に出来る唯一の方法で
あなたに何かを伝えようとしているのかもしれません。
私のことを変えようとしないでください。
あなたにそうする権利はないのです。
私が知りたいことを学ぶ手助けをしてください。
あなたが感じている不安や迷いを、
専門家としての距離で隠さないでください。
私の声に耳を傾け、私の”もがき”を簡単に解決できるかのように軽く受け流したりしない、そんな人でいてください。
理論や方法論に私を当てはめようとしないでください。
ただ一緒にいてください。
そしてぶつかり合ったときにはお互いに自らを省みる機会といたしましょう。
私をコントロールしようとしないでください。
人として自分らしく生きる権利が私にはあるのです。
あなたが不服従や操りと呼ぶ行動は、
自分の人生を自分でコントロールできる私にとっての唯一の方法なのかもしれません。
いつも素直で従順で礼儀正しくいることばかり叩き込まないでください。
自分を護るためには、嫌なときに嫌だといえることが必要なのです。
無理に私の友達になろうとしないでください。
そんな同情はいりません。
私のことをよく知ろうとしてください。
そしたらいつか友達になれるかもしれないね。
たとえそうすることがあなたの気分をよくするとしても、
勝手に私を助けようとしないでください。
手助けが必要かどうか聞いてください。
私からあなたが私に手を貸せる方法を教えてあげます。
私を賞賛しないでください。
精一杯生きようとすることは、
特に崇拝されるようなものではありません。
私を尊重してください。
尊重の前提には対等があるから。
指示したり強制したり指導したりしないでください。
聞いて、支えてあとをついてきてください。
私は料理されるだけの鯉じゃない。
あなたたと私、同じ水に棲み、共に生きよう。
「 支えの信条 (A Credo for Support)」
ノーマン・クンツ、エマ・ヴァン=ダー=クリフト作
(共に障害者で障害者権利運動運動家)
歴史を通じて、
障害を持つ者たちは、
産声と共に見放され、社会から見捨てられ、
宮廷の道化師として嘲笑われ、
ナチスドイツ時代にはガス室に送られ、
そして今も尚、隔離され、施設に入れられ
「行動管理」という名の拷問にさらられ、
虐待され、犯され、安楽死においやられ、
そして殺され続けている。
今日史上初めて、障害を持つ人々が、
己の権利に基づき、
価値ある一市民としての存在を主張し始めた。
ここに潜む落とし穴は、社会が彼らの叫びに対し、
公平と尊重ではなく、
救済と慈悲で応じてしまうという危険
だから あなたに届けます。
支えの信条
私たちの障害を問題として見ないでください。
障害は私の一部です。
私を欠陥人間として見ないでください。
私を異常で無力な人間として見ているのは
あなたなのです。
私のことを直そうとしないでください。
私は壊れてなんかいません。
支援してください。
そうすれば私なりの方法で社会に貢献できるのです。
私をあなたの患者として見ないでください。
私もあなたと同じ一市民です。
あなたの隣人として見てください。
人は皆、人に支えられて生きているということを
忘れずにいてください。
私の行動を矯正しようとしないでください。
静かに聞いてください。
あなたが不適切行動と決めているものは、
私に出来る唯一の方法で
あなたに何かを伝えようとしているのかもしれません。
私のことを変えようとしないでください。
あなたにそうする権利はないのです。
私が知りたいことを学ぶ手助けをしてください。
あなたが感じている不安や迷いを、
専門家としての距離で隠さないでください。
私の声に耳を傾け、私の”もがき”を簡単に解決できるかのように軽く受け流したりしない、そんな人でいてください。
理論や方法論に私を当てはめようとしないでください。
ただ一緒にいてください。
そしてぶつかり合ったときにはお互いに自らを省みる機会といたしましょう。
私をコントロールしようとしないでください。
人として自分らしく生きる権利が私にはあるのです。
あなたが不服従や操りと呼ぶ行動は、
自分の人生を自分でコントロールできる私にとっての唯一の方法なのかもしれません。
いつも素直で従順で礼儀正しくいることばかり叩き込まないでください。
自分を護るためには、嫌なときに嫌だといえることが必要なのです。
無理に私の友達になろうとしないでください。
そんな同情はいりません。
私のことをよく知ろうとしてください。
そしたらいつか友達になれるかもしれないね。
たとえそうすることがあなたの気分をよくするとしても、
勝手に私を助けようとしないでください。
手助けが必要かどうか聞いてください。
私からあなたが私に手を貸せる方法を教えてあげます。
私を賞賛しないでください。
精一杯生きようとすることは、
特に崇拝されるようなものではありません。
私を尊重してください。
尊重の前提には対等があるから。
指示したり強制したり指導したりしないでください。
聞いて、支えてあとをついてきてください。
私は料理されるだけの鯉じゃない。
あなたたと私、同じ水に棲み、共に生きよう。