南無煩悩大菩薩

今日是好日也

ついてはなれて。

2011-04-09 | なんとなく落書。

先日、プレゼントで帽子(ハット)をある方々から頂きました。

キャップやハンチングと感じが違うので、どうなんだろうと少し照れながら被っておりましたら、「あ、やっぱりよくお似合いです」といわれました。

お世辞とはわかっていながらも、すこし安心する自分を感じ、声をかけられることの有難さを思いました。

そのときにふと、お世辞とソーセイジは発音が似ている、と思い笑みを浮かべたものです。

これを書いていてまたふと、ある小噺を思い出しました。

「隣の肉屋に双子が産まれたんだってねぇ、これがほんとのソーセイジ。」


はかなくもしょーもなくも少し楽しい、そんな日常を、生きています。
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聞見得。

2011-04-08 | なんとなく落書。

古人曰く、
聞くべし、見るべし、得るべし、
得らざれば見るべし、見ざれば聞くべし

体得、感得たがわず、「得る」ことを得ようとすれば、まず聞いて、それから自分で見て、得るように心がけましょう。
もし得ることを「得られない」場合は、しっかり見直しましょう、もし見ることも「得られない」場合は、もう一度聞き直してみましょう。

ということでしょうか。

30億のゲノムの内、人とチンパンジーの違いは、1.23%でしかない。ともいわれます。

大きな違いを生み出すのは、ほんのわずかな差ではありながらもその「会得」に関わっているようです。
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頭で考えず胸に聞く。

2011-03-08 | なんとなく落書。

知覚には、常に存在するものを背景のノイズとして処理し、弱めると言う傾向がある。
だから、自分の体臭は感じないし、衣服や眼鏡が肌に触れていることも忘れている。

考え直してみよう、というような感覚が起こるのは、それに値する知覚を呼び覚ますなんらかの事件が起こっている。

常に与えられていることで忘れていたものが、今までは何も感じなかったものが、急に存在感を持って迫ってくる時がある。

感じなくなっていることで、そのありがたみを忘れるという癖を我々は持っている。


今までやってこれたのは、わたしが ということではなく、その人たちがいてくれたおかげだ。
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みそとくそ。

2011-03-04 | なんとなく落書。

身分に順があるなんてことは、明治のお役人が宣伝したのよ

だまされちゃいけねぇ、悪しき前例を破ったなんていう大儀がなけりゃ吾身の正当性がうしなわれちまうからさ

身分の順であれこれ争ってるのは、お侍の中だけのはなしだろ

庶民は、なんやそれってなもんよ

だいたい貴いの賎しいのなんてものはねぇんだ、それを強欲に自分の都合のいいようにしちまうから、暴動なんてものが起こるのさ

そうでなきゃお江戸は400年ももつかってんだ。
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爺の図。

2011-02-15 | なんとなく落書。

鶴は千年、亀は万年、私は天年、

と幾つまでこの身がもつかは天のみぞしるのですが、

どうせなら、息子の嫁の尻をなでても許されるような、そんな爺にわたしはなりたい。
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猫図。

2011-01-29 | なんとなく落書。

昨今、体も態度もいわゆるふてぶてしさを身につけたようだ。

おまえはいいねぇ。



昔は猫をかぶっていたというか幼かったというか。
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必要条件。

2010-07-20 | なんとなく落書。

気に入らぬ 風もあろうに 柳かな
-詠み人知らず-

樹は動かず、自己主張をせずとても長い生を生きる。
人間は自分の小さな問題しか考えず、外の環境にいちいち目くじらを立てるが、
樹はどんな環境に害されても何も言わずそれを受け入れずっと立っている。

十分とはいえないが、必要な事を満たしていれば、それでいいじゃあないか。

必要を満たすセンスは、あんがい、どこ吹く風の境地に在るのかもしれない。

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十分条件。

2009-11-02 | なんとなく落書。

その腹に 何が不足ぞ なく蛙。
-詠み人知らず-


雷の音が聞こえたときには、もう鳴り終わっているように、現実について思うときにはもうその現実は、終わってしまっている。

不足を思うのは、お腹が現実で満たされていないと思う過食性の疑いもある。

自分の腹に手を当ててみる。

ありゃまぁかしこ、これで十分ではないか。
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風竹。

2008-09-19 | なんとなく落書。

見えない風を、画に取り込もうとするなら、媒体に頼ることになる。

風という触媒は、竹を媒体にみえないものの存在と役割を教えてくれる。

見えないものを、可視化させるためには、2次的なものを豊かに現し且つ見る眼の想像力に委ねるしかない。


私のかいた風は、やはり硬い。風が作られている。とってつけた取り繕い。
基本的な表現技術が稚拙な由縁である。

心技がおろそかな為に、体をなさないのだ。


上手く見せようとする事で、かえって違うものを見せてしまうことがよくある。

見えていないにも拘らず、見えていると錯覚することがよくある。


かいてみることで、至らなさを知ることは大事なことだ。

それが恥であったとしても。


見えないものを少しでも豊かに感じられるようになれば、少しは風をつかまえられるのかもしれない。

それはもう、実際の風竹に教わるしかない。

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駒もの。

2008-08-11 | なんとなく落書。

肩で風切る王将よりも、わたしゃもちたい歩の心。

勝った負けたと騒いじゃいるが、歩の無い将棋は負け将棋。

いつかは成ります「と金」の駒に。


将棋の駒の歩は、相手陣地に切り込めば、金の駒となれる。これをと金という。

瓢箪は何処にでも見受けられた庶民の作物であった。駒は、金の価値を持つものの代名詞でもあった。


瓢箪から駒か。歩のと金か。


この夏の修行で、じっくりと考えてみようとおもう。

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タイムアフタータイム。

2008-02-29 | なんとなく落書。

大の字に寝転がってみた。


うつぶせで頬に杖つく。


手枕で畳の目を爪弾き。


むっくりと起き上がり胡坐をかいて背筋張る。


立姿、腰に手をあて、外を見る。


向こう岸を、飛ぶは青い鳥であったか。



幾ら取り繕うとも、膨らんでは消える水の泡。

おもんぱかるは、あのときのこと。

タイムアフタータイム。

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秋雨。

2007-09-05 | なんとなく落書。

太平洋高気圧の縁をに西北に向かっていた台風9号は、西からの偏西風にあおられ、北上に転じ、首都東京直撃の模様。

かねてからの秋雨前線への刺激に伴い、今後東日本各地は大雨や暴風、洪水、伴う土砂災害等、十二分に注意されたし。


大阪は、「天気晴朗なれども波たかし」の状況。


今頃、浅草寺も濡れそぼっているのだろうか。

新橋の旦那のかけた、大願提灯は、災難を逃してくれるだろうか。

秋雨には、春雨とは別物の想いがある。

つまり。みづからがぬれそぼるのではなく、ぬれそぼる模様を思いださせる響き。


秋雨にやられ続けて恩返し。


風雨つよしといえども、悠長に傘など差して、くれなんし。


ついそんな言葉を吐かせる。

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けいず。

2007-09-04 | なんとなく落書。

いけずではない。

見守っているのです。


親子の鶏図。


子呼己故児結ッ構~。

親は屋なり。児は子なり。
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暑中見舞い。

2007-07-23 | なんとなく落書。

暑気払いの季節と相成っております。

寝冷え、食あたり、熱中の各症状、ウィルス媒介の疫病、天候の急変、はたまたつい乗りすぎての脱線してしまう事故など、いろいろと心も体も天も鍵や羽目をはずしやすい気候でございます。

諸兄諸姉の、すこやかなる日々を想い、暑中お見舞い申し上げます。


朱鐘馗は、昔から疫鬼除けとされております。

くわばらくわばら。
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犀。

2007-07-03 | なんとなく落書。

差異はなくとも親子犀。

さいさいよらせてもらいます。

財はなくとも債はある。

さいですか。

ほなさいなら。

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