南無煩悩大菩薩

今日是好日也

Forever Heart

2020-01-26 | 有屋無屋の遍路。
(gif/source)

Forever Heart展に行ってきた。

その人の絶筆らしき書は、「今日も楽しい!」と筆跡豊かにしたためられていました。

その人は、ずっとHeartというものを描きながら追っていたのか追いながら描いていたのか、そのようなその人だと僕は勝手に解釈している。

僕に「往来」と名付けてくれた人はその追悼作品らしきものに「素粒子になったあなたへ」という題をつけていた。

京都市立美術館で、大阪市立美術館で、ギャラリーで、いわんや新地のクラブで、Heartを一義にしたその人にその作品に触れられたこと今思えば万僥のいたり。

またとの機会を思っていましたが、もうその機会はなくなったようです。ここしばらくの無沙汰を顧み鑑み噛みながら、陰ながらご冥福のお祈り祈りつ。

亡くなってからしか言えないのが常ながら、さようなら、安倍さん。ありがとう安倍さん。「今日も楽しい!」と言い切れるよう生きていきたいと思います。

Armand Amar - Inanna (Most Emotional Piano Drama)



art/Abe Kiyotaka)
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敬虔の生地

2019-09-18 | 有屋無屋の遍路。
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いまだ継続させて頂いている。

つくづくその不可思議を慕い、すぎしあれこれも、おいそれと還元はならず、亡羊のうちながらそのうつつに宿るは、閑かなる寧。

Canzonetta spirituale sopra la nanna - Tarquinio Merula (HD)
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Bang Bang

2019-08-19 | 有屋無屋の遍路。

人生には二通りの生き方しかない。

ひとつは、奇跡など何も起こらないと思って生きること。もうひとつは、あらゆるものが奇跡だと思って生きること。

と、のたまわったのはアインシュタイン博士であったか。

この世界のいたるところに音楽はあふれている、それを聞こうとするものたちにとっては。

と、いわしめたのはシェイクスピア伯であったか。

‘鐘聞かば空も海にも仏あり’ 最御崎寺ではそんな風情に出会った。

Jackie Mittoo & the Skatalites - El Bang Bang.
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鐘聞けば空も海にも仏かな

2019-08-15 | 有屋無屋の遍路。

留めても留めぬものは

月と日と空行く雲に水の流れとひとのいのちよ

悉皆成仏
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波如何

2019-08-03 | 有屋無屋の遍路。

鐘の音や水面の波紋などの「波」は、波長と振動数を持ちます。そして波のなかでは波が「この位置にある」と正確に云う事はできません。

何もできそうもない所でも、何かをしていれば何とかなる。

何もしなくても、持ちこたえていけば何とかなる。

どうにもならない、先のわからない宙ぶらりんの状況でも、持ちこたえていけば、いつかは好転するはず。

物事は何とかしているうちに何とかなり、早々と白か黒かの結論を出す必要はない。

薄暮の波のようなグレーゾーンを持ちこたえているうちに、東の空が明るくなるのに気付くこともあるでしょう。

んなことで、この歳になってもこのおんちゃん、埒もあかず、波への想いも止まず、今年も漕いでみようと思うのである。。
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自らと自ずから。

2019-05-26 | 有屋無屋の遍路。

そもそもの当初、わたしは、自分の意志とは無関係に、この世界において、自ずから(おのずから)生まれてきたものと思われます。

いわば自然の意志において、誕生させられたわけです。

したがって私にとってそもそもの当初、わたしの発生過程での問題はといえば、「受精卵の安定性」にあったのであって、自(みずから)ら解決できるような問題ではなかったのであります。

それが成長の結果、主体として意志を持ち、自ら(みずから)世界に自分の意志を発動していくようになっていったと考えられます。

しかしただ、それらが自ら(みずから)の意思なのか、自ずから(おのずから)の意思なのかについて、よくわかって発動しているのだろうかということがよくわからないのです。

人はよく、「自由がいい」といいます。

それはどういう意味なのでしょう。はたしてなにをもって自由なのでしょう。

アジェイ・アグラワル氏はつぎのように述べています。

「自由意志とは、人間の行動が外的要因で決まるのではなく行動主体が意志をもって選択した結果だとする。

私たちは果たして本当に自由意思を持っているのだろうか。

持っているという人もいれば、そうでないと考える人もいる。

言い換えれば、私たちは基本的にはDNAに記載されたコードを実行しているだけです」。
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緑竹の青さよ

2019-04-16 | 有屋無屋の遍路。
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幸という人は、

生い盛る萌竹の葉緑極まりて群青、のようにはつらつ。でありました。

Folia - Baroque Violin, Viola da Gamba & Harpsichord


身罷りてまたそのさやけさを忍ぶもまた幸

Handel - Sarabande
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今を生きる

2019-03-02 | 有屋無屋の遍路。
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‘ニンゲンが欲を肥大化させるのは、行く先に不安を感じるからでしょう。つい動物も同じ感情を抱いていると思いがちですが、それは違います。

たとえばシマリスが秋になってドングリを口いっぱいに頬張るのは、やがて来る冬の到来への危機感から蓄えにいそしんでるわけではありません。

日が短くなると本能でそうしたくなる。動物は「いま」この瞬間に向き合って生きているのです。’

というようなことをある動物学者の先生はおっしゃっていた。

先の不安が今を蝕んだり、以前の悔やみが今を朧にしない生き方。できるだけそんなふうに今を生きて生きたい。

Francisco Tárrega: Tango Maria














(photo/source)
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無言の行

2019-01-03 | 有屋無屋の遍路。
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無住和尚の短編集に「沙石集」なるものがある。

そのなかの「無言上人ノ事」の一節に、「無言の行は無言の行である」と説明すればすなわちそれは「無言の行」ではなくなったと説く。

「無言上人ノ事」とは、ある山寺に四人の上人があり、共に座を並べて七日間の無言の行を始めたが、夜更けて灯が消えようとしたとき、まず下座の一人が承仕に火をかき上げよと口を開き、ついで次の一人が無言の道場にあってものを言うなと口を開き、第三の座の一人がこの二人を指して、二人ともものを言ったとして自分自身も口を開き、最後の一人も自分ばかりはものを言わなかったと、口を開いてしまうことを云う。

-引用/古田紹欽「仙厓」より

無いとすれば在ることへの欲望に囚われ、在るとすれば無いことへの執着に捕われる、哉。

無言に(言葉を見出せば)言あり、無音に(調べを聞き取れば)音あり、乎。

Silent Performance - John Cage - 4'33 - JOKES
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Mr.ShoeShine

2018-11-03 | 有屋無屋の遍路。
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その人にあうまで、

ぼくの靴はボロい、だから磨いても磨いても、きれいにならない、一緒じゃないか、それが悲しくてもう靴を磨くのは諦めかけていた。

そんな時ぼくはその人にあった。その人には、その人には足がなかったんだ。

ぼくは、また靴を磨き始めた。

Bob Dylan- Knockin' on Heaven's Door "Original"


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鍋をみて沸騰を知らず

2018-09-30 | 有屋無屋の遍路。
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バケツの水が満杯になれば、水は急に溢れ出す。

どの雪のせいで枝が折れたのかなど、誰にわかるだろう?

人は観ずるに従って行動する責任から逃れられない。

それでいて、自分の行動の結果を、すべて自分の功績だとも、責任だとも云えないのである。
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おい、おおい、雲よ。

2018-09-27 | 有屋無屋の遍路。
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ちょっと目端が利けば戦略らしきものはすぐに組み立て可能だ。

ちょっと口が上手なら上等なビジョンは語れる。

問題は、「わしええことゆうた(した)んちゃう」というところに逃げ込み、安住しているバカさを顧みず、表出しているものを我田引水する姿勢だ。

間違いかもしれんことであってもに正面から向き合うことで、広がる行く先はたぶん大きく姿を変えるに違いない。

人生はすべからく「誰も知らない 行く先」なのである。

いいかわるいか進化か退化かはわからないが、変わりつつ流れゆくという本質から逃げては事を仕損じる。というようなことが無きにしも非ずだとおもうのである。
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いまだにげせぬ、その理由。

2018-09-06 | 有屋無屋の遍路。
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身の回りには物質があふれているが、

そもそも物質が宇宙に存在する理由がはっきりしない。

宇宙誕生直後には、物質と、物質とぶつかると消滅する「反物質」なるものが同じ数だけあったと考えられている。

そのままでは消滅するため、星も私たち生物も生まれようがなかった。と、新聞に書いてあった。

謎の解明の鍵を握るのがニュートリノだといわれる。

「ニュートラル=電気を帯びていない」「イノ=(イタリア語で)小さい」 という意味の名前を持った、素粒子のひとつ。

このニュートリノの影響で物質と反物質とのバランスが崩れて物質だけが残ったとの説が有力のようだ。

ハイパーカミオカンデ計画なるものも着々と進んでいるらしい。

がしかしそれにつけても『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』である。
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おてんとさんよ

2018-08-30 | 有屋無屋の遍路。

かんべんしてやっておくんなさい。まだまだ、まぁだまだ、片手念仏。


(唄/勝新太郎)
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うつくしいそれ。

2018-08-09 | 有屋無屋の遍路。
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はじめにそれがあった。

それを見出すひとがいて、それを培う人がいて、それを守る人がいて、それを受け継ぐひとがいて、そしてそのそれはそのことに応えるままに...。

うつくしいそれに、たまたま逢えるそれを僥倖という。

VASSILIS TSABROPOULOS Behind the Curtain
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