ぎゅうじる。
牛汁ではありません。耳の話。
果たしてどのような意味か?
漢の時代の戦国武将たちは、それぞれの思惑から集散離合を繰り返したという。
ただ、盟友の契り。同盟の暁には、牛の耳をそぎ、滴る血を盃に受けお互いが飲み干す事で、その証拠としたのら。
あ。したのだ。
日本で言う血判状や、義兄弟の杯、のようなものなのら。
あ。なのだ。
しかし。なぜか日本には違った意味でどうも渡ったようだ。
相手を牛耳る。
地域を牛耳る。
政界を。団体を。会社を。・・・・牛耳る。
・・・なぜか、悪(わる)じゃのう越後屋。のような響きがある。
本来の意味に立ち戻ってみるのも一興かもしれない。
権力の座に就こうとする者は、それにまつわる人達に対して、牛耳る誓いを明確にするのら。
あ。のだ。
なぜなのらってか?
牛耳る。ことなく牛耳るような人はですね。
戦国武将よろしく、簡単に裏切り、変心、謀反、反故を起こしやすい。のら。
あ。のらいぬ。のようにですね。
犬になってはいけないのです。牛なのであります。
牛耳るような力のある人ほど牛の誓いがいると思われます。
牛の歩み方に ブレ は無いのであります。