山中に一人で暮らすと、時は自分と共にある。
まだこの歳であるとか、もうこの歳であるとか、遅れているとか、進んでいるとか、思い煩うことはない。
相対的に己を定義する必要がないのであります。
本来の面目、本来の自分の裁量そのモノで生きられるのであります。
山中(さんちゅう)とは、個人的本意を守るシェルターの暗喩でもありましょう。
暦日(れきじつ)とは、相対的な価値を刻むものの比喩とも見受けられます。
人に勝つことはなく、負けることも無い。
追い越されることも無く、追い抜くことはない。
叶うこともなく、叶わぬことは無い。
どうぞお先に。わたしにはわたしの暦日がある。
周りに翻弄されずに、己は己の寄る辺。
そんな気持ちで、社会に住んでみるのも悪くは無い。
そこに、どんな引換券が用意されているというのかはわからないが。
山中暦日なし。
そんな心境に遊ぶ。
自分の心の庵に一人座る。
たまにはそんな時も有ってしかるべき。
邪魔しないから、できれば邪魔しないで下さい。
わが迷いよ。わが惑いよ。わが友よ。
その日は、遠くも無ければ、近くも無い。