電車や汽車はレールの上を走る。
レールを敷くのと、道路を造るのでは、根本的な違いが有る。
規格の問題である。
雪道や未舗装道路には、轍(わだち)ができる。
レールの施設とは、その轍を予め決定する事によって、走るものを規格する。
道路の轍は、それ以外の規格のものが走る際には不便極まりない。
つまり、根本的な違いは、ユーティリティの開放方向が逆なのである。
電車派と車派という違いは、電車が楽、車が楽、電車が速い、車が速い。等という物理的なことだけではない、規格化されたものに対する、個人的に優先したい開放枠の反映である。
人は規格と開放をどのように選択し、使い分けるのか。
規格と開放とのせめぎあいに。
規格されたものからの開放方向の便利さに対する個人的優先度が見えてくる。
なんちゃって。
どうでもいいことを規格化してはいけないのである。