私達人間は、ある目的から次の目的へと、苦労しながら自分の生活を進めていくことに慣れているので、他の動物もつい目的を持ってるんじゃないかと信じて疑わない処がある。
たしかに、ウニやミミズが目的を持っていると主張する人はいないだろうが、ハエやダニのレベルになるとどうだろうか。
待ち伏せしたり、味覚器官を備えていたりと、採食を行動目的とするかのようなこれらの類は、無意識にではあろうが、純粋な自然の設計(プラン)を持ち合わせている。
誤謬は此処に起こる。
私達は、ハエの持つ設計された行動の先に目的を見てしまうのである。
目的とは目的の為に設計された行動を通じて達っしようとされるものではあるが、プランはその目的を示唆するものではないことを、私達は実生活を通じてよく知っている。
あるプランを、その行動に見たとしても、真の目的を示唆するものではないということを。
設計=目的となるようなプランで行動するという事は、一筋蝿とはいかない大事(おおごと)である事を、自分自身に当てはめれば理解できるにも拘らず、自分以外もしくはハエに対しては誤謬を持って当てはめてしまう癖があるのである。
私達人間は、ある目的から次の目的へと、苦労しながら自分の生活を進めていく。
そのために随時随所に設計書の書き換えを余儀なくされる。それは、成長という目的に合致する。
純粋にして、真摯なる態度で、環境世界への適応と、生存繁栄競争を戦う中で、目的的な行動設計(プラン)を確立してきたハエなどに対して、
「私は客観的に物事を見ることが出来る。あなたとは違うんです。」
と、果たして私は言えるだろうか。