南無煩悩大菩薩

今日是好日也

惻隠のこころ。

2015-05-18 | 古今北東西南の切抜
(photo/source)

‘子どもの頃、父宛ての郵便物の中に時折、宛名の左下に「平信」と書かれた封書があった。意味を尋ねると父は、「それは特別のお知らせではない普通の便りで・・・」、と丁寧に教えてくれた。

まだこどもだった私は、何だ、たいしたことではないと思った。その意味の深さに気づいたのは、大人になって自分のところに「平信」と記された手紙が来るようになってからである。

疎遠になっているひとから突然手紙が舞い込む。これは嬉しいことではあるが、同時に不安も感じる。なぜあのひとが今頃手紙を送って寄越すのだろう、何か悪い知らせではないか、受け取った人は心穏やかでない。

それは相手への配慮に欠けるから「平信」と記す。すると相手は安心して封を開けることができる。この二文字が「この手紙は決してあなたを驚かせたり、不快にするようなものではありません。季節の便り、身辺の報告、そういった平らかな内容の手紙でございます」と言っているのだから。

何も書いていなくとも封を切って読めば自ずと趣旨はわかる。僅か二十秒か三十秒の違いである。しかしその間の相手の気持ちを察して書かれる二文字、こうした心遣いは今時の押しつけがましい「おもてなし」と違って目立たない。けれどこれが日本の文化、日本の心なのだ。そして昭和一ケタ以前の人にとって当たり前のことだった’

-能楽師狂言方 山本東次郎 (切抜/日経新聞コラムより)-
コメント (2)
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