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孔子曰く、「人の信ずる所のものは目なり、眼もまた信ずるに足らざる事あるか」
と宣(のたま)いしは、かかる事にて見誤る事多くありと、鬼神論に出てくる。
晋の禾廣(かつこう)という者、常に親しく来る人がいたが、久しくこなくなったので不審に思って問うてみれば、
「この前君と座敷で酒を呑んでいたら、盃の中に蛇の形が現れた。君との盃なので飲み尽くしたが、それ以来病に侵されてしまい、もしやあの蛇のせいではと思い悩んでいた」と云う。
禾廣はそれを聞いて、さては、壁の上に掛けている弓の蛇の図柄が写ったのだと合点し、又その座敷に招待し酒をすすめ、「前のように蛇は現れたか」と問えば、
「以前と同じ蛇がまた出た」と怯えて云うので、弓の図柄が写っているのだと教えてやった。
それを聞くやたちまち、心晴れて病は癒えたという。
心の惑いより起こる事しかり。 -「山家鳥虫歌」より
孔子曰く、「人の信ずる所のものは目なり、眼もまた信ずるに足らざる事あるか」
と宣(のたま)いしは、かかる事にて見誤る事多くありと、鬼神論に出てくる。
晋の禾廣(かつこう)という者、常に親しく来る人がいたが、久しくこなくなったので不審に思って問うてみれば、
「この前君と座敷で酒を呑んでいたら、盃の中に蛇の形が現れた。君との盃なので飲み尽くしたが、それ以来病に侵されてしまい、もしやあの蛇のせいではと思い悩んでいた」と云う。
禾廣はそれを聞いて、さては、壁の上に掛けている弓の蛇の図柄が写ったのだと合点し、又その座敷に招待し酒をすすめ、「前のように蛇は現れたか」と問えば、
「以前と同じ蛇がまた出た」と怯えて云うので、弓の図柄が写っているのだと教えてやった。
それを聞くやたちまち、心晴れて病は癒えたという。
心の惑いより起こる事しかり。 -「山家鳥虫歌」より