そもそもの当初、わたしは、自分の意志とは無関係に、この世界において、自ずから(おのずから)生まれてきたものと思われます。
いわば自然の意志において、誕生させられたわけです。
したがって私にとってそもそもの当初、わたしの発生過程での問題はといえば、「受精卵の安定性」にあったのであって、自(みずから)ら解決できるような問題ではなかったのであります。
それが成長の結果、主体として意志を持ち、自ら(みずから)世界に自分の意志を発動していくようになっていったと考えられます。
しかしただ、それらが自ら(みずから)の意思なのか、自ずから(おのずから)の意思なのかについて、よくわかって発動しているのだろうかということがよくわからないのです。
人はよく、「自由がいい」といいます。
それはどういう意味なのでしょう。はたしてなにをもって自由なのでしょう。
アジェイ・アグラワル氏はつぎのように述べています。
「自由意志とは、人間の行動が外的要因で決まるのではなく行動主体が意志をもって選択した結果だとする。
私たちは果たして本当に自由意思を持っているのだろうか。
持っているという人もいれば、そうでないと考える人もいる。
言い換えれば、私たちは基本的にはDNAに記載されたコードを実行しているだけです」。