「時が自らについて考えている、それが光だ」。
そう書いたのは詩人オクタビオ・パスである。自省する時間こそが光となって出現する。深く示唆的な霊感である。
時間は見えない。刻々と時を刻む経過的時間を可視化するためにつくられた装置が時計である。時計の時間は流れすぎてゆく。しかし、私たちが意識する時間とは生の営みのなかでただ直線的に経過するものだけではない。
淡い朝の光が強烈な昼の太陽光線となり、やがて黄昏の光となって暮れてゆく。
光の微細な変容の中で時間が生起し、時間が自らについて思索しているかのように様々な濃淡と色彩を持った光が明滅する。
ー今福龍太「原風景への誘い」より
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