(picture source/人生劇場)
昔、呉起という将軍がいた。
部下の一兵卒に腫物ができ、膿を吸い取ってやらなければ命が危ないということになった。ところがだれもこれを吸い取ってやるものがいない、それを将軍呉起は自らこれを吸い取ってやりました。
その話を聞いた兵卒の母親は大きな声をあげて泣き叫びだしました、そこにいたある人が怪しんで「お前の息子は一兵卒じゃないか、その腫物を大将軍がじきじきに吸い取ってくれたなら大いに喜んでいいのに、何を悲しんで泣くというのだ」と聞きました。
するとこの母親はこう言ったそうです。「私の亭主も兵隊に出てあの将軍の下におりましたが、やっぱり腫物ができた折に将軍自らその膿を吸い出してくれました。亭主はその為に、あの将軍のためなら命は惜しくないと、ついに討ち死にしてしまいました。私の息子も将軍からそういうお取り扱いを受けたならば、命を捨てるに決まっているから泣いているのです」。
人情には機微というものがある、呉起にも息子にも父にも母にもみんなにある。が、その出所と落としどころとその先を自覚する者はたぶん無い、もし自覚していたならばそれは、人情とは別物だろうと思える。
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