(picture/original unknown)
生き残るものと死ぬものを選別するのは誰なのか。
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、人類はもう一つの厳しいジレンマに直面しつつある。
イタリアの現状はこれを垣間見せている。問題の本質は、以下のように要約できる。
医師Aの手元には人工呼吸器が一台しかない。だが、コロナウィルスに感染し重篤化している患者は二人いる。最初に到着したのは患者B。65歳で既に職から退いている。この患者が生き延びられる確率は小さいものの、ゼロではない。患者Bは今、人工呼吸器を装着することで生命を維持している。患者Cは35歳の教師だ。患者Bよりも後に病院に到着した。病状は急速に悪化しているが、人工呼吸器をつければ回復する確率は大きいと判断される。
このような板挟みに直面した時、多くの人はおおむね次のような実利的な見方をすると筆者は考えている。
医師は人工呼吸器を患者Cにつなぎ替えるのが正しい選択だろう。恐らく、つなぎ替えるよう医師に強いるべきだとの意見もあるの違いない。
医師は、命を守るとの崇高な誓いの下に、懸命な努力をする。患者Cに人工呼吸器を付け替えることは、その誓いを実現するのに最も蓋然性の高い方法と考えられる。
次に、この選択を違う視点から見てみよう。患者Bはあなたの両親の一方だ。患者Cに人工呼吸器を付け替えるにあたって、医師は患者Bの家族であるあなたに人工呼吸器を停止する許可を求める。もし許可を与えれば、あなたの母親もしくは父親が生き続ける可能性は完全に断たれる。わずかとはいえ、確かに存在する可能性だ。あったかもしれない残り20年ほどの人生を奪い去ることになる。
筆者が実施したまったく科学的ではない調査は、多くの人々、もしくはほとんどの人々が、この時点で考えを変えることを示唆している。一般的な倫理による判断と、大切な人に関わる生と死の選択は全く別だ。親は子供を守るためなら、自らの命も含めて、すべてを犠牲にすることをいとわない。そうした例を、我々はしばしば目にする。他方、患者の子供たちは、重篤な状態に陥った年老いた両親の命を少しでも長らえさせるべく、あらゆる措置を講じてほしいと懇願する。筆者は複数の医師からこのように聞いた。
人工呼吸器をめぐるこのジレンマが先進国の病院においても今現実のものとなり得ている。そこで重要な問題に答えなければならない。神に代わってこの判断を下す役割を我々はだれに求めるのだろうか。
イタリア北部のロンバルディア州では、ウィルスの感染スピードがあまりにも速いため、設備が十分に整った医療センターでさえ、危機に瀕している。もはや長々と議論する時間は残されていないと思われる。同州の動向を伝えるメディアの報道によれば、病院と医師は医療配分に関して拙速な決定をせざるを得ない状況にある。報道されたインタビューから判断する限り、医師は皆、まず年齢を判断基準にする。人工呼吸器は衰弱した高齢者よりも、若くて比較的健康な患者に適用される。
多くの国において、医師の組織や病院、医療当局は、限られた医療資源を患者間でいかに配分するかについて倫理面での手順を定めている。
先進国以外では、こうした哲学的な論争は通常あまり意味をなさない。世界の人口の最も大きな比率を占める地域においては、こうした選択はそもそも存在しない。何十億人もの人々が、基本的な医療も受けられない国では、いったい何台の人工呼吸器があるというのだろう。新型コロナウィルスが本当の恐怖を人々に見せつけるのは感染が南半球に広がってからだ。
先進国に話をもどそう。既存の手順は、最も多くの人の命を守るという実利的な目的に基づく。この手順が今、パンデミックという新たな用途に適用されているようだ。このことは、患者Bが人工呼吸器の使用を諦めて患者Cに譲ることを意味する。しかしながら、このことが今後、声高に語られるとは思えない。誰もこの二者択一を目の当たりにしたくはないだろうからだ。
先頃、アンドリュー・クオモ米ニューヨーク州知事は次の質問を受けた。「重症患者が増えて人工呼吸器の数が足りなくなった時、ニューヨーク州はどのような選択をするのか」。同知事は、次のように答えた。「そのような質問に答えざるを得ない状況に追い込まれたくなかった」。あらゆる国の政治家は同じ思いを抱いているだろう。
パンデミックが広がるなか、重篤な患者の家族が命の選択を迫られれば、そして迫られる時、人間の感情の前に、冷徹な実利的論理など吹き飛んでしまうだろう。政治家はそのことを知っている。
モノゴトは曖昧なままにしておく方が好ましい。必要ならば、誰かに責任を転嫁する。我々の多くはおそらく、医師が神の役割を果たすことに満足している。ただし、責任を共有するよう医師が我々に期待しない限りにおいてだ。
それは明らかに不公平だろう。
-切抜抜粋/2020 The Economist Newspaper Limited Apr. 4-10,2020「医療崩壊、救うべき人をだれが選ぶ」日経ビジネス,より-
生き残るものと死ぬものを選別するのは誰なのか。
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、人類はもう一つの厳しいジレンマに直面しつつある。
イタリアの現状はこれを垣間見せている。問題の本質は、以下のように要約できる。
医師Aの手元には人工呼吸器が一台しかない。だが、コロナウィルスに感染し重篤化している患者は二人いる。最初に到着したのは患者B。65歳で既に職から退いている。この患者が生き延びられる確率は小さいものの、ゼロではない。患者Bは今、人工呼吸器を装着することで生命を維持している。患者Cは35歳の教師だ。患者Bよりも後に病院に到着した。病状は急速に悪化しているが、人工呼吸器をつければ回復する確率は大きいと判断される。
このような板挟みに直面した時、多くの人はおおむね次のような実利的な見方をすると筆者は考えている。
医師は人工呼吸器を患者Cにつなぎ替えるのが正しい選択だろう。恐らく、つなぎ替えるよう医師に強いるべきだとの意見もあるの違いない。
医師は、命を守るとの崇高な誓いの下に、懸命な努力をする。患者Cに人工呼吸器を付け替えることは、その誓いを実現するのに最も蓋然性の高い方法と考えられる。
次に、この選択を違う視点から見てみよう。患者Bはあなたの両親の一方だ。患者Cに人工呼吸器を付け替えるにあたって、医師は患者Bの家族であるあなたに人工呼吸器を停止する許可を求める。もし許可を与えれば、あなたの母親もしくは父親が生き続ける可能性は完全に断たれる。わずかとはいえ、確かに存在する可能性だ。あったかもしれない残り20年ほどの人生を奪い去ることになる。
筆者が実施したまったく科学的ではない調査は、多くの人々、もしくはほとんどの人々が、この時点で考えを変えることを示唆している。一般的な倫理による判断と、大切な人に関わる生と死の選択は全く別だ。親は子供を守るためなら、自らの命も含めて、すべてを犠牲にすることをいとわない。そうした例を、我々はしばしば目にする。他方、患者の子供たちは、重篤な状態に陥った年老いた両親の命を少しでも長らえさせるべく、あらゆる措置を講じてほしいと懇願する。筆者は複数の医師からこのように聞いた。
人工呼吸器をめぐるこのジレンマが先進国の病院においても今現実のものとなり得ている。そこで重要な問題に答えなければならない。神に代わってこの判断を下す役割を我々はだれに求めるのだろうか。
イタリア北部のロンバルディア州では、ウィルスの感染スピードがあまりにも速いため、設備が十分に整った医療センターでさえ、危機に瀕している。もはや長々と議論する時間は残されていないと思われる。同州の動向を伝えるメディアの報道によれば、病院と医師は医療配分に関して拙速な決定をせざるを得ない状況にある。報道されたインタビューから判断する限り、医師は皆、まず年齢を判断基準にする。人工呼吸器は衰弱した高齢者よりも、若くて比較的健康な患者に適用される。
多くの国において、医師の組織や病院、医療当局は、限られた医療資源を患者間でいかに配分するかについて倫理面での手順を定めている。
先進国以外では、こうした哲学的な論争は通常あまり意味をなさない。世界の人口の最も大きな比率を占める地域においては、こうした選択はそもそも存在しない。何十億人もの人々が、基本的な医療も受けられない国では、いったい何台の人工呼吸器があるというのだろう。新型コロナウィルスが本当の恐怖を人々に見せつけるのは感染が南半球に広がってからだ。
先進国に話をもどそう。既存の手順は、最も多くの人の命を守るという実利的な目的に基づく。この手順が今、パンデミックという新たな用途に適用されているようだ。このことは、患者Bが人工呼吸器の使用を諦めて患者Cに譲ることを意味する。しかしながら、このことが今後、声高に語られるとは思えない。誰もこの二者択一を目の当たりにしたくはないだろうからだ。
先頃、アンドリュー・クオモ米ニューヨーク州知事は次の質問を受けた。「重症患者が増えて人工呼吸器の数が足りなくなった時、ニューヨーク州はどのような選択をするのか」。同知事は、次のように答えた。「そのような質問に答えざるを得ない状況に追い込まれたくなかった」。あらゆる国の政治家は同じ思いを抱いているだろう。
パンデミックが広がるなか、重篤な患者の家族が命の選択を迫られれば、そして迫られる時、人間の感情の前に、冷徹な実利的論理など吹き飛んでしまうだろう。政治家はそのことを知っている。
モノゴトは曖昧なままにしておく方が好ましい。必要ならば、誰かに責任を転嫁する。我々の多くはおそらく、医師が神の役割を果たすことに満足している。ただし、責任を共有するよう医師が我々に期待しない限りにおいてだ。
それは明らかに不公平だろう。
-切抜抜粋/2020 The Economist Newspaper Limited Apr. 4-10,2020「医療崩壊、救うべき人をだれが選ぶ」日経ビジネス,より-
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