南無煩悩大菩薩

今日是好日也

貧と富のこと。

2005-04-12 | 日日是好日。

漠然と ないよりあったほうがいいに 決まってる のがお金ではある。

子供の頃の僕は 財布を持った事がない。

親戚のおんちゃんたちが呉れたお金は すぐに母のものになった。

くちっぱいに頬張る一粒の飴が欲しければ それを買うだけのお金を貰った。

アイスキャンディーの チロンチリン が聞こえたときもそうだった。


欲望の報告をして それが母に認められると それを満たすためだけ のお金をもらう。

許可が出るのは 至極たまにではあったが 買える ということが至上の喜びに感じられた。

ずっとそんなものだと思っていた。


高学年になった神祭の日。僕は親戚のおんちゃんにもらったお金から 何故か手元に内緒のお金を残した。

たぶん。管理される事なく遣ってみたかったのだと思う。

境内での出店で 友人達に得意げに奢っていた。それは驕っていた といえなくもない。

それでも幾許かが 手元に残った。 何を考えたのか お茶碗を買っていた。それも唐草の。

たぶん。お金を持っていると 罪悪感から逃れられないとでも思ったのだろうか。

遊んで家に帰った僕を待ち受けたのは 仰天するようなことだった。


家の前に母が立っているのである。そんな事は今までなかった。 

驚いた僕は 買ったお茶碗を包みごと 家の下を流れる川に投げ込んだ。


・・・おまん。今何を放ったか言うてみぃ。

ん? なんちゃあ 放っちょらん。

・・・そんなことあるもんかね。隠したちいかんぞね。拾うてこんかね。


仕方なく拾いにいったが 茶碗は砕けていた。



母は、一切を知ったが 怒らなかった。 父にも言わなかったようだ。 父に言えば僕は吹っ飛ぶ。

ただ。この言葉は覚えている。

・・お茶碗は 割れたら使えんろう。



この 一件は強く心に残っている。

何故だかは分からないが・・・。

今思えば。たぶん。 僕の心と行いが 貧しい と感じた最初の出来事。


・・・ 富 とは 貧 と思わなくて済む ありよう なのではないかと思う。

あたりまえのことではあるけれど。


遠い遠い昔の日記。
日日是好日。 
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
先生の子供時代って・・うふ (みゆき生け花教室)
2005-04-12 13:30:24
 こんにちは



誰もが古い日記の1ページを、ふと、開くこと



あるのですね。



pcから、先生の時代の空気まで漂ってきました。



また、こんなお話聞かせて下さいナ
返信する
何も変わってないようです。 (無屋。)
2005-04-12 14:26:16
洟垂れ小僧のやんちゃ坊主。から。

野垂れ死に寸前。説教垂れのただの坊主。

であります。
返信する

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