南無煩悩大菩薩

今日是好日也

ひょっとこ。

2015-09-09 | 意匠芸術美術音楽
(photo/Hyottoko mask 17th-18th century Edo period)

ああ空が青かった、ということに驚く。 

そういう無邪気な感動こそ、人間生命にとって貴重だ。

透明な眼、心に人間の誇りが拡充されてゆく。 -岡本太郎-


‘夢は砕けて夢と知り 愛は破れて愛と知り 時は流れて時と知り 友は別れて友と知る・・・

酒酌み交わせ若者よ 琴つまびけよ 乙女ごよ・・・'

古城の月/小椋佳
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ねがいは何処に

2015-09-09 | 世界の写窓から
(GIF/source)

たとえばあなたがだいじな人と流れ星を見に行く・・

・・・たぶんもうすでに願いは叶っているのではありませんか。


Saori Yuki -- Yoake No Scat Marsheaux remix
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クリティカル・シンキング

2015-09-08 | 世界の写窓から
(image/source)

遠い国の内戦、経済問題、選挙……、次々にテレビは話題を切り換える。生きものを次々に殺すように、こうして情報は簡単に殺されていく。

-森博嗣「夢・出逢い・魔性 You May Die in My Show Vシリーズ」より- 

*批判的思考(ひはんてきしこう)またクリティカル・シンキング(英: critical thinking[1])とは、あらゆる物事を批判的に考えることである。ただし「批判的思考」がどのような意味を持つかについては学者によって異なるが、たとえばD. F. Halpernは、「批判とはあら探しではなく、理想的には思考過程を改善するための情報の提供をも意味し、批判的思考とは、複雑な判断、分析、統合、また省察的な思考や自己モニタリングを含み、文脈に敏感な高次元の思考技能」としている。(参照



-They Don't Care About Us-
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持続可能性

2015-09-07 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(像/神農-湯島聖堂蔵)

「ご飯は一粒たりとも残さないように。一粒一粒に神様が宿っている」

それは命の教えです。

一粒のもみを植えると600から1000粒の米がとれるのですから。
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針のない釣り-シンクロする命-

2015-09-06 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(GIF/source)

“命はたった一つしかないんだよ。

そして、その命、生命そのものが、おまえの本来の姿なんだ。

自分が、自分の命を所有しているわけじゃない。命が自分なんだよ。”

-雲 黒斎/「あの世に聞いた、この世の仕組み」より-

Sunrise Mass. 1) The Spheres - Ola Gjeilo
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使うためだけではない学問

2015-09-05 | 世界の写窓から
(photo/original unknown)

男だってそう大差はないだろうに、「10人に一人ぐらいしか使わないような学問を女に教えてなにになる」といったような‘とんちんかん’なことを口走った某県の知事の話が新聞に載っていた。

学問というのはなにになるかわからないからするのである。つまりそれまでとは違う知らなかった世界を見るためのものだろう。

たとえ90%の人は使うことのない学問であっても、避けてはならない。なぜならいったい誰がそれを必要とする10%の人なのかは学んだあとでなければわからないのである。

そしてたぶんその10%が90%にはわからない大事な仕事を為し得るような人にもなろう。

老若男女たがわず、可能な限り学問はすべきなのである。
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刻々と風景

2015-09-03 | 世界の写窓から
(photo/source)

『 アミエル(Henri Frédéric Amiel )は、「風景はひとつの心理状態だ」と言った。

だが、この言葉は凡庸な夢想家のお粗末な思いつきに過ぎない。風景が風景となった瞬間から、それは心理状態であることをやめてしまう。

・・・とはいえ言語のこんな心理学的思弁がいったいなんの役に立つだろう。

私とは関係なく、草は生えるし、生える草の上に雨は降るし、すでに生え、これからも生える草むらを太陽は黄金色に染める。

山々は昔から聳えているし、風はホメロスが聞いたのと同じように吹いている。

「心理状態は一つの風景だ」と言ったほうがずっと適切だったに違いない。

そうすればこの文は、理論の嘘を含まず、隠喩の真理を含むという長所を持ったことだろう。』-フェルナンド・ペソア(Fernando Pessoa)-
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「昔はよかった」というのはほんとうだろうか?

2015-09-01 | 世界の写窓から
(photo/source)

「記憶は間違う」という前提を忘れず、はっきりしない記憶を無理に思い出そうとしてはならない。

思い出す努力と記憶の正確さは比例関係には無いからだ。

不正確な情報による記憶の穴埋め、自分を正当化する方向への記憶の書き換えといった問題が生じやすくなる。

-高木光太郎「Harvard Business Review」より-
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