南無煩悩大菩薩

今日是好日也

浮世の渡り

2020-04-04 | なんとなく落書。
「としを経てうき世の橋をみかえればさてもあやうくわたりつるかな」

齢90を超えた飲み友達が言う。

おやじは世界的な疫病も免れ二度の大戦も生き抜いた。

わしにも戦争からのちにも百年千年に一度ともいわれるような、厄災もあったが、未だわしの命を奪ってはいない。

今にも死ぬかもしれんが、そう思うたびに、おもいえがくのことは、もしかしたらまだ生きるかもしらん。ということにつきる。

そう、卒寿を超えた飲み友達が言うのです。

Thank you (J-Ph. Collard-Neven, J-L. Rassinfosse, Quatuor Debussy)
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目の付け所

2020-04-01 | 世界の写窓から
(photo/source)

むかし、京のカエルが、大阪の難波見物へと出かけました。

西京から、山崎へ出て、天王山に登りかかりました。

また、大阪には京に興味津々のカエルがいて、高槻、山崎から天王山に登りかかりました。

京と大阪のカエルはちょうど天王山の頂で出会いましたが、両方とも、のたのたと這いまわりながらやっとこさ来たのでとても疲れていました。

そこで両方が言うには、「なんとここまででも苦しい思いをしてやっと来たのに、まだ半分だ。これからお互いに京・大阪にいけば、足も腰も立たないだろう。ここが名高い天王山の頂、京も大阪も一面に見えるところ。どうだい、互いに爪先立って、背伸びして見物してみようじゃないか」

そうお互いに意気投合し、足つま立てて見渡してみました。

京のカエルがこう言いました。「評判の難波名所も、見れば京と変わりはないではないか。これからまたつらい思いをしなくても、ここから引き返すことにするよ」

大阪のカエルも目をパチパチして嘲笑うように言いました。「花の都と評判はよいけれど、大阪と少しも違わない。ではわしもさっさと帰ることにしよう」

両方のカエルはもと来た道をまたのたのたと這いまわりながら帰って行きました。

変わりないはずでした。このカエルたちは向こうを見渡したつもりですが、立ち上がったので両方とも、もと来たほうを見ていたのですから。

カエルの目の玉は背中についているのです。

「私は確かにこの目で見た」ということはよくあります。しかし「その目の付け所が怪しい」ということもよくあることです。
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