「ものの心(こころ)をしるは、すなわちものの哀(あわ)れを知るなり」
「たとえば、嬉しかるべき事に際して嬉しく思うのはその嬉しかるべきという事の心をわきまえているから嬉しいのだ。また悲しかるべき事に際して悲しく思うのはその悲しかるべきことの心をわきまえているから悲しいのだ。だからことに触れて、その嬉しく悲しいことの心をわきまえてていることを、ものの哀れを知るという」。
「たとえば、めでたき花を見、さやかなる月にむかひて、あはれと情(こころ)の感(うご)く、すなはち是、もののあはれをしる也」
そのような人を、「心ある人」という。
紫文要領や石上私淑言(いそのかみささめごと)ではそのように説明される。
心ある人粋な人、心ない人野暮な人、つまり、「哀れやなあ」と言う言葉の使いようは、蔑みや同情ではなく、もっと品よく使う言の葉なのである。
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