病院が患者を「お客様」と呼ぶようになって医療の現場はだめになったと、内田樹さんのご指摘にあるように、身近な消費者と生産者感覚の問題。
バネは口コミで生徒が集まっている。パンフを持ち帰り、いくつかと比較検討したあげく入塾するというパターンはほとんどない。最初の電話の時点で「入りたいのですが、あいていますか?」という問い合わがきて、面接して入塾するパターン。
教室のキャパで定員を決めている。部活と両立できるよう、子どもの都合にできるだけ合わせてあげる。こういうシステムだから、放課後すぐにやってきたり、部活が早く終わったからと言って随時やって来たり、こういう通い方を許容している。勉強部屋として使える教室というスタンスでやっている。こんなスキマをつくかのように、「家でストーブつけると灯油もったいないから、学校から帰ったらすぐバネ行ってな」なんて子どもに指令出すような「消費者」とはソリが合わない。
最近通っている歯医者のこと。予約システムが完備され「お客様」を待たせない。治療飽きさせないようにテレビモニターが診察台の横におかれ、「お客様」に対して痒いところに手が届くほどの快適さが追求されている。そのかわり。その代わり、診療費がちと高い気がする。もっといけないのは、治療中は口を開けているから肝心なこと言えない。治療が終わり、自分なりに不安感じている点を訴えようとすると、もう次の瞬間には別の患者の口をのぞいている。診察台をたちあがると「お疲れさまでした。ありがとうございました。」とにこやかに挨拶されある。「もう予定の時間だから、面倒なこと言ってはいけない」というサインだと感じさせられる。時間の枠の中でベルトコンベアーに乗せられ口開けさせられ、その対価を支払って退場となる。こうやって「お客様」でいるのはもううんざりだと思った頃、ようやく長い長い治療は終わった。この間なんとか不具合を数回伝えたにもかかわらず流され、ここから先はやっかいな消費者になると察知されたのか、突然治療終了したように感じた。
バネ初期生は、卒業時教室の大掃除をして帰った。こんな関係だったから、合格祈願ツアーや卒業旅行をやったのかもしれない。私は生産者ではなく先生であり、子ども達は消費者ではなく生徒。どっちが楽かと言うと、それは時間切り売りの生産者で、どっちが楽しいかと言うと、それは言うまでもない。
バネは口コミで生徒が集まっている。パンフを持ち帰り、いくつかと比較検討したあげく入塾するというパターンはほとんどない。最初の電話の時点で「入りたいのですが、あいていますか?」という問い合わがきて、面接して入塾するパターン。
教室のキャパで定員を決めている。部活と両立できるよう、子どもの都合にできるだけ合わせてあげる。こういうシステムだから、放課後すぐにやってきたり、部活が早く終わったからと言って随時やって来たり、こういう通い方を許容している。勉強部屋として使える教室というスタンスでやっている。こんなスキマをつくかのように、「家でストーブつけると灯油もったいないから、学校から帰ったらすぐバネ行ってな」なんて子どもに指令出すような「消費者」とはソリが合わない。
最近通っている歯医者のこと。予約システムが完備され「お客様」を待たせない。治療飽きさせないようにテレビモニターが診察台の横におかれ、「お客様」に対して痒いところに手が届くほどの快適さが追求されている。そのかわり。その代わり、診療費がちと高い気がする。もっといけないのは、治療中は口を開けているから肝心なこと言えない。治療が終わり、自分なりに不安感じている点を訴えようとすると、もう次の瞬間には別の患者の口をのぞいている。診察台をたちあがると「お疲れさまでした。ありがとうございました。」とにこやかに挨拶されある。「もう予定の時間だから、面倒なこと言ってはいけない」というサインだと感じさせられる。時間の枠の中でベルトコンベアーに乗せられ口開けさせられ、その対価を支払って退場となる。こうやって「お客様」でいるのはもううんざりだと思った頃、ようやく長い長い治療は終わった。この間なんとか不具合を数回伝えたにもかかわらず流され、ここから先はやっかいな消費者になると察知されたのか、突然治療終了したように感じた。
バネ初期生は、卒業時教室の大掃除をして帰った。こんな関係だったから、合格祈願ツアーや卒業旅行をやったのかもしれない。私は生産者ではなく先生であり、子ども達は消費者ではなく生徒。どっちが楽かと言うと、それは時間切り売りの生産者で、どっちが楽しいかと言うと、それは言うまでもない。