塩害で咲かない土地に無差別な支援が植えて枯らした花々
近江は宮城県石巻市出身。東日本大震災が起こったのは東京の大学の三年次在籍中だった。就職活動真っ只中だった近江が「帰った方がいいか」と電話で問うと父は「食料が一人分減るだけ」と答えたという。しかし近江は卒業後に就職した会社を2013年夏に辞め、石巻の新聞社に入社した。本歌集の第三部冒頭の掲出歌には、ただ口を噤むほかない。自己本位な支援への手厳しい批判というより事実そのままだというのが正しいだろう。
大地震当日から10日ほど後、作業所の朝会で私は近々行う予定の誕生会のお弁当代を被災地への募金に回しては、と提案した。すると、妹さんが宮城の大学で学んでいた他のメンバーが、妹からのアイディアの借用だと前置きして、手作りのマスコット等を被災地の保育園などに届けられないだろうかとおずおずと申し出た。結果的には前者は通り、お弁当代に当時の所長が個人的に大幅に上乗せした額を日本精神保健福祉士協会に復興支援募金として献げてくださった。後者に対しても職員は蔑ろにせず、手作り石鹸などを送ることも考えたようだが、届け先や配達方法の確保など難しい点が多く、実現しなかった。私には震災以前からTwitterの相互フォローの方で宮城にお住まいの方がいるが、震災から約一ヶ月後にさらっと「昨夜ようやくお風呂に入れました」とツイートしたことに絶句し、私達の精一杯の善意も自己満足に過ぎないことを悟らされた。
途切れつつ防潮堤は横たわる現場の作業員は足りない
掲出歌に続く一首である。身近な話で恐縮だが、震災当時家で燻っていた私の弟は被災地にボランティアへ行き、石巻に寝泊まりして預金が底を突くまで復興支援に働いていた。そして一時は被災地での就職も考えた。石巻での所在が証明されないと面接が受けられないということで、災害ボランティア宿営地の弟宛てに適当なものを見繕って封書を速達郵送したのを覚えている。弟の就職は決まらず結局はこちらに戻ってきたのだが、複雑そうな表情の弟にはあまり色々問いただせず、そのままになっている。
まとめるのうまいですねと褒められてまとめてしまってごめんと思う
この歌には、「2年前に結婚をした。妻と出会ったのは、震災ボランティアで石巻を訪れ、その後移住した女性が仮設屋台村の一画に開いたお店だった。そういうことは多くある。もしかしたら僕が今、仲良くしている友人たちは震災なくしては出会えなかった人たちの方が多いかもしれない。」と添え書きがある。
私の弟と屋台村の店のオーナーの境目が何であったのかは分からない。むしろ、判別の事由を断じようとするのは驕りですらあるかもしれない。
「まとめるのうまいですね」。被災者の窮状の訴えか、あるいは復興支援に携わる人への取材か、そういったものを近江は筋道立てて記事にし、後日それを褒められたという状況が目に浮かぶ。止め処ない不安や苛立ちを多くの人の目に留まるよう纏めてもらえ、インタヴューされた側は正直有り難かったに違いない。職業柄、混沌とした事象を整理して一定の枠組みをその都度与えていかなければならない立場にあるのだから、そう後ろめたさを感じなくてもいい筈だ。けれど近江は「まとめてしまってごめん」と思う。それゆえにこそ、私は近江の言葉に信頼を置く。お仕着せのようにキリスト教の言葉を充てがうのは少し躊躇われるが、この近江の姿勢は「愛」なのだと私は感じる。どういう愛——?その問いへは次の聖句を以って返答としたい。
ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。 自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。 (コリントの信徒への手紙 一 8章1〜2節)
近江瞬『飛び散れ、水たち』
近江は宮城県石巻市出身。東日本大震災が起こったのは東京の大学の三年次在籍中だった。就職活動真っ只中だった近江が「帰った方がいいか」と電話で問うと父は「食料が一人分減るだけ」と答えたという。しかし近江は卒業後に就職した会社を2013年夏に辞め、石巻の新聞社に入社した。本歌集の第三部冒頭の掲出歌には、ただ口を噤むほかない。自己本位な支援への手厳しい批判というより事実そのままだというのが正しいだろう。
大地震当日から10日ほど後、作業所の朝会で私は近々行う予定の誕生会のお弁当代を被災地への募金に回しては、と提案した。すると、妹さんが宮城の大学で学んでいた他のメンバーが、妹からのアイディアの借用だと前置きして、手作りのマスコット等を被災地の保育園などに届けられないだろうかとおずおずと申し出た。結果的には前者は通り、お弁当代に当時の所長が個人的に大幅に上乗せした額を日本精神保健福祉士協会に復興支援募金として献げてくださった。後者に対しても職員は蔑ろにせず、手作り石鹸などを送ることも考えたようだが、届け先や配達方法の確保など難しい点が多く、実現しなかった。私には震災以前からTwitterの相互フォローの方で宮城にお住まいの方がいるが、震災から約一ヶ月後にさらっと「昨夜ようやくお風呂に入れました」とツイートしたことに絶句し、私達の精一杯の善意も自己満足に過ぎないことを悟らされた。
途切れつつ防潮堤は横たわる現場の作業員は足りない
掲出歌に続く一首である。身近な話で恐縮だが、震災当時家で燻っていた私の弟は被災地にボランティアへ行き、石巻に寝泊まりして預金が底を突くまで復興支援に働いていた。そして一時は被災地での就職も考えた。石巻での所在が証明されないと面接が受けられないということで、災害ボランティア宿営地の弟宛てに適当なものを見繕って封書を速達郵送したのを覚えている。弟の就職は決まらず結局はこちらに戻ってきたのだが、複雑そうな表情の弟にはあまり色々問いただせず、そのままになっている。
まとめるのうまいですねと褒められてまとめてしまってごめんと思う
この歌には、「2年前に結婚をした。妻と出会ったのは、震災ボランティアで石巻を訪れ、その後移住した女性が仮設屋台村の一画に開いたお店だった。そういうことは多くある。もしかしたら僕が今、仲良くしている友人たちは震災なくしては出会えなかった人たちの方が多いかもしれない。」と添え書きがある。
私の弟と屋台村の店のオーナーの境目が何であったのかは分からない。むしろ、判別の事由を断じようとするのは驕りですらあるかもしれない。
「まとめるのうまいですね」。被災者の窮状の訴えか、あるいは復興支援に携わる人への取材か、そういったものを近江は筋道立てて記事にし、後日それを褒められたという状況が目に浮かぶ。止め処ない不安や苛立ちを多くの人の目に留まるよう纏めてもらえ、インタヴューされた側は正直有り難かったに違いない。職業柄、混沌とした事象を整理して一定の枠組みをその都度与えていかなければならない立場にあるのだから、そう後ろめたさを感じなくてもいい筈だ。けれど近江は「まとめてしまってごめん」と思う。それゆえにこそ、私は近江の言葉に信頼を置く。お仕着せのようにキリスト教の言葉を充てがうのは少し躊躇われるが、この近江の姿勢は「愛」なのだと私は感じる。どういう愛——?その問いへは次の聖句を以って返答としたい。
ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。 自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。 (コリントの信徒への手紙 一 8章1〜2節)
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