水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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2024年11月4日の祈り

2024年11月04日 16時53分20秒 | 「とど」の日々の祈り
① 体調はいまいちだったが、10:20から「世界に告げよ」の一曲鑑賞を書き始め、11:55頃に一旦中断して昼食。12:25から執筆を再開して、12:51に擱筆できた。感謝。

② 15時過ぎに最寄り図書館へ行き、『絵葉書と切手で知る クリスマスの世界』を返却し、予約していた一冊を借りてこられた。感謝。

③ まだ週報を貰ってきてないのではっきりは分からないけど、おそらく明日に「詩編を読む会」の第14回が開催されるのだろう。詩編14編は、所属教会の牧師先生の説教の通奏低音のような聖句である(まぁ多分、先生は詩編14編を引用したローマの信徒への手紙3章12節をベースにしてるんだろうけど)。所属教会員には(私そんなに悪人じゃないよ?)という意識の人が多いように見受けられる(まぁ日本キリスト教団全体にそういう傾向があるのかもしれないが)。人の罪の告白を聞いてから、やっと自分も似たような点についてちょっと言う、という感じなんだよなぁ、、、別に「露悪的になれ」というわけではないけど、自分がどうしようもないと認めるところからしか、主の力は発揮されん気がするけどね……教会員がええカッコしいをやめますように。
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一曲鑑賞(6):沢知恵「世界に告げよ」

2024年11月04日 12時51分47秒 | 一曲鑑賞
 「世界に告げよ」は、黒人霊歌の “Go Tell It On The Mountain” が日本語訳された讃美歌である。原曲の英語のほうは、世俗的でないクリスマスアルバム(洋楽)ではよく目にする。いかにもゴスペルらしい力強さに溢れた曲であり、沢知恵のアルバムでは『いいうたいろいろ4』に原恵 訳による日本語版が収録されている。この讃美歌の楽譜は、『讃美歌第二編』の172番に載せられている。

 マルコによる福音書5章に、ゲラサ地方に住む人が癒される話が出てくる。以下に引用する。
 一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。(マルコによる福音書5章1節〜20節)

 唐突に福音書のこんな箇所を持ち出して、面食らった方もいるだろう。私自身も「世界に告げよ」が、このゲラサ人と関わりのある曲だという話を聞いたこともない。しかし、歌詞の一番〈世界に告げよ、野を越え山こえ、「救いの君は来たりましぬ」と。〉を耳にすると、野を越え山こえ「救い主がおいでになった!」と告げ知らせ回る破天荒な行動力の持ち主が、イエスに癒されたゲラサの人にどうも重なって仕方ない。
 マルコによる福音書5章を読んで(それはそうと、イエスって癒しておいて、お供したいと熱心に申し出た人を家に帰したりして、案外冷たいじゃん……)という感想を抱いた方もいるかもしれない。下記は、ただ私の「私見」であり「証し」であることをお含みいただいた上で、お読みいただきたい。
 私は、母教会で「◯◯は自制が足りない」といつも指摘されつつ過ごしてきた。私には当初、言わんとすることが全く解らなかったが、行動力に優れた教友の間で揉まれ、時に劣等感に苛まれながら、落ちこぼれクリスチャンとして何とか生きていた。2001年に精神状態に異変をきたして山梨に連れてこられてから、私は霊的なパイプを遮断されたようになり、本当に苦しい年月を過ごした。2007年のクリスマスにN教会に転入会し、2008年4月より市内の作業所に通うようになっても、私は二十代の頃の生活とのギャップに苦しみ、早く一般就労に戻ろうと、矢鱈にハローワーク通いを繰り返していた。それ以降も何度か病状の再燃を経験し、2012年には乳がんの手術も受けた。その後の乳がん治療でホルモン剤を服用していく中で不眠が悪化し、私は頓服の鎮静剤の服用量の加減を試行錯誤の末に掴んでいった。そうして過ごしているうちにも加齢による影響は容赦ない。更年期と鎮静剤の加減からくると思われるふらつきに対処するため、私は起床時刻、朝に摂取する飲み物、黙想・お弁当の準備・歯磨き・化粧など朝に必須の行動をどう組み立てていくかにも、神経を働かせるようになった。作業所で職員さんにきめ細かいアドバイスをいただけたのも幸いしたと思う。
 イエスはゲラサの人に、「帰って、言い広めなさい」と仰った。地元に返す——そこで主の御用のために役割があったのである。あるいは、癒された後に義の生活を生きるために、鍛錬に相応しい場所に送られることもあるのではないか?と今の私は思う。
 現実の私は、週の半分は作業所に通所しているけれど、その他は横になってグッタリしている時間が非常に長い。その合間を縫って、パソコンを起動して教会の用事や執筆をしたり、家事をしたりしている。—— 普段ぐうたらしてるのに、本当に偉そう!!って自分でも思う。でもこれって、誰かに似てない?私は自分のことを、ニネベに遣わされた預言者ヨナっぽいな、とちょっと思う。—— 眠ってばかりで僻みっぽく、希死念慮に容易く走るヨナを、主は用いることができた。私達を生かしている主は、そのような方なのである。

Holyspirit Community Church / Go Tell It on The Mountain(語り伝えよ)[2021 Christmas worship]

Blind Boys Of Alabama /Go Tell It On The Mountain - 11/26/2019 - Paste Studio ATL - Atlanta, GA
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