キャンパスの一角。2日前の放課後です。
散歩の人は服装から見て職員の家族でしょうか。
エイプリル⁼フールの今日ですが、
近年は「毎日がエイプリル⁼フール」のアベ首相のおかげで、
嘘とホントがごちゃごちゃになって困っています。
今日も今日とて、午後2時過ぎに2年生の韋彤さんから、
「先生、今日午後は清明節の代講があるんですけど。先生の聴解の授業が…。」
と電話があった時も、
(ま~たまた、それには引っかかりませんよーだ)と、
真面目な応対をしていなかったんですが、
じ、実は、本当でした……。
2年生は私が教室に来るのを十数分じっと待った後、
確認のため電話をくれたんでした(;^_^A
いやね、この大学では祝日の後に代講があるのが今までの常だったんですよ~。
今回も、明日から3日間:4月2日(日)、3日(月)、4日(火)と
清明節休暇があって、
私の月曜日の授業の代講は、ただ「土曜日だ」と
日本語学科の主任からメールで連絡があったので、
私は当然、来週の土曜日だと思い込んでいたのです。
結局、再来週の月曜日の正規の授業時にオーバータイムを取ることにして
学生たちに納得してもらいました。
今学期初めての4連休なのでいつになく、
(午後のお茶は何にしようかな)などと、
心からリラックス・ゆったり体制に入っていたのに、
今さら焦って髪の毛ボサボサのまま教室に走りたくないですよ。
2年生も、「もう帰ってもいいよ」と聞いて明るい声で通話を終えました。
いや、ヨカッタな。結果的に。あははは~💦(^^;)
・・・と、笑っていられないのが日本の状況です。
昨日3月31日で、原発事故自主避難者に対する支援が打ち切られ、
避難解除区域から避難している方々が頼みとしている住宅無償提供が
今日4月1日から受けられなくなったそうですね。
これからさらに、避難解除区域は増えるでしょう。
しかし、解除されたからと言って、住めもしないところに帰ることは
できません。
こんな人でなし政策を推進しているのがアベ内閣、
この人でなしアベ内閣のやりたい放題を横行させているのは、
現政権を支持している人たちです。
ということは、
現政権の支持者たちも人でなしだということでしょうか。
だってね、
放射能事故からの避難者たちに対する虐めが
日本のあちこちで起きていると聞いて、
私はつくづく日本人の性根の悪さを感じざるを得ないんですよ。
(そりゃ、いい人もた~くさんいるけどさー)。
芥川龍之介は小説『鼻』(1916年発表)の中で、
日本人の心の中にある〈傍観者の利己主義〉についてこう述べています。
――だれでも他人の不幸に同情しない者はない。ところが、その人がその不幸をどうにかして切り抜けることができると、こんどはこっちでなんとなく物足りないような心持ちがする。少し誇張して言えば、もう一度、その人を同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くようなことになる。――
これ、原発被災者に虐めをする日本人よりまだましですよね。
芥川の生きた明治末期‐大正‐昭和初期の日本人は、
「他人の不幸に同情しない者はな」かったようです。
しかし、時代が平成の世になって、
芥川が断じた時代よりさらに人心は荒廃し、
「その人が不幸を切り抜けることができて」もいないのに、
不幸な状況にある被災者の子を恐喝する他の子ども、
同じく学校の階段から付き落とす子ども、
たばこの煙を吹きかけ、「はやく福島に帰れ!」という親…e.t.c.
ネトウヨ業界人の攻撃性と、
原発事故からの避難者への虐めが私には重なって見えます。
そもそも、ヘンに劣等感持ったり、急に上から目線になったり、
自分と他者を対等に関係づけることができない人が
日本には多すぎる気がするんですが、
世知辛い世相の現代にあっては、
相手が自分より上(強者)だと思えば尻尾を振って揉み手をしてすり寄り、
下(弱者)だとか思ったとたんに、上から目線で馬鹿にし、
下に見た存在が毅然として頑張っていたりすると、
腹が立ったり、憎しみを覚えてしまったりするんじゃないかなと、
思える今日この頃です。
〈付録〉民の声新聞 国と東電を訴えた「福島原発被害東京訴訟」の第21回口頭弁論2回目の原告本人尋問(2017/1/11)
(前略)40代の母親は、原発事故で新体操の指導者という道を絶たれた。いわき市の友人からは「いつ帰って来るの?」というメールばかりが届き、すっかり疎遠になった。
子どもは転校した都内の公立小学校で、何度も階段から突き落とされる〝いじめ〟に遭った。
「福島から来た子は白血病で死んじゃうらしいな」というクラスメートの言葉に、担任の教諭は注意するどころか「そうね、中学生くらいになると死んじゃうかもね」と〝悪ノリ〟した。
階段から突き落とされる時、わが子は「どうせ死ぬなら今死んでも一緒だろ」と言われたという。
「避難者なんだから貧乏だろ」とも。
法廷で母親は言った。「心を傷つけられ過ぎて果たして修復できるのだろうか」。
被曝リスクから逃れたい一心での避難で、なぜそんな仕打ちを受けないといけないのか。
【原発事故で引き裂かれた家族】
「私も泣きたい」、「ママだってつらいんだよ」
30代の母親は、原発事故による母子避難で夫や両親と離ればなれになった。
夫や互いの両親に支えてもらいながらの子育てから一転。
都内で1人、生後10カ月の幼子と向き合った日々。もはや爆発寸前だった。
避難先は都営住宅の9階。
「ここから落ちちゃったら終われるのかな」。
ベランダでそんな発想が頭をよぎった事もあった。
原発事故が無ければ、夢だった美容室を開業しているはずだった。
物件も決め、契約直前だった。
原発事故前の日記には、夢の開業に向けてワクワクする想いが綴られていた。
だがコツコツ貯めた開業資金は、避難先での生活費に消えて行った。
そんな「喪失感」とも闘っていた。
住み慣れたいわき市を離れる時、迷いが無かったわけでは無い。
背中を押してくれたのは母親だった。
「子どもを守れるのは親しかいない。あなたは行きなさい」。
ずっと一緒にいるのが当たり前だった親を〝捨てて〟の避難。
車中で泣きながら夫の手を握りしめた。
「私たちは間違った事をしているのかな」。
後に、子どもの尿検査で放射性セシウムが検出されなかった時には「思わず涙が出た」と夫にメールを送った。
医師からも「早く避難した事がこういう結果に結びついたんだよ」と言葉をかけられた。
しかし、自身の甲状腺から6ミリの結節が見つかった。B判定。
子どもの尿からも後に放射性セシウム137が微量ながら検出された。
原発事故による健康への影響は本当に無いのか。不安は消えない。
やはり30代の夫は、出し続けていた転勤願いがようやく通り、昨秋から名古屋市に単身赴任中。
子どもが卒園式を終えたら、妻や子どもとようやく一緒に暮らせる。
「離れていてつらかった。初めて子どもが立ったとか初めて『パパおかえり』と言ってくれたとか、そういうものを経験できなかった。すごく悔しい」。
しかし、被告代理人弁護士の問いに、こうきっぱりと答えた。
「子どもを守るために避難させたので、自分が寂しいとか会いたいからという理由で戻って欲しいと言うつもりは無かった」。
工場での勤務を終えて、3時間かけて会いに行った。
夜勤明けでも寝ないで車を走らせた。
妻の髪をなで、子どもと遊んだ。
自分の前では〝いい子〟のわが子は、父が見えなくなった後で泣いていた。
「あと何回寝たら来てくれるの?」と尋ねられて、何と答えて良いか分からなかった。
同訴訟で、母子避難させた父親の出廷はただ1人。
硬派な父親が唯一、下を向いて涙をこらえたのが愛する妻の話だった。
「自分はそばにいてやれなかった。あんまり愚痴を言わない妻が『つらい』、『もう嫌だ』、『ベランダから飛び降りる』と電話で…」。
傍聴席からすすり泣く声が聞こえた。夫妻の想いは被告代理人弁護士の胸に届いただろうか。
(後略) 16時38分、閉廷した。次回期日は3月1日10時。
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